吉行和子(女優・エッセイスト)   

今週は映画やテレビドラマでおなじみ、女優の吉行和子さん。

いま現在の活動は?
「長いことやってました舞台をやめましたので、それで、そんなようなことを書いたひとり語りって言う本を書いて、やっと出来たんですね。ですから、少しづつ何かを書きながら、それから舞台の芝居はやらないんですけど、一応、舞台はやっていくので、誰かの舞台にゲストで出たり、それから朗読したりって、そんなことは今年も何回かあります。」

テレビ番組ですとか、そう言ったものも引き続き活動されるのですよね?

「テレビもやりますし、映画も2本か3本、これからやります。やっぱり女優って言うのもいい職業で、私のこの歳で、この歳だからやれるみたいな役もあるんですよね。」

主な舞台をなさらないのは、何か転機が?
「私ね、55年間も舞台をやったんですよ。それでね、最初のうちは大きい劇団にいましたから、ただ劇団が企画してくださるものをやってたんですけど、そこを辞めてから40年間くらいは全部自分で考えて、なにもかも、スタッフから、それから劇場を借りるお金から、なにもかもやってたものですから、ぼつぼつ限界かなぁって思いまして、だから後はそう言うことはやらないで、映画とかテレビで、私にくださった役をね、役だけ考えてやればいいかなって思ったんです。」

吉行さんにとって演技や役者の魅力は?
「違った世界に入れるってことなんですね。だから役に扮して、自分じゃない誰かに扮してやるって言いうのが、とってもノビノビと出来るんです。むしろ。現実の世界だといろいろ制約もありますけれども、フィクションの中に入っちゃったら、もう好き放題ですからね。それと自分と全然違う役って言うのも面白くて、たとえば、さっき出て来た佐賀のがばいばあちゃんなんてのは、もう凄い働き者で、いろんな仕事をするんですよね。何一つ私は実生活でやったことがないことばっかりなんですよ。そうすると結構面白くなっちゃって、元気に出来るんです。」

違う自分になれるってことが続けてこれた魅力なんですね。

「それとやっぱり舞台は生ですから実際にお客様がいらしてくださって、そこで一緒に、お客様と一緒につくってくって言う、ライブ感覚って言うんですか、だから歌手の方がやっぱりレコーディングで完璧な物をつくるのとは別に、ライブでお客様と一緒にコンサートをやるって言うと凄く高揚する、ちょっと、それに似た興奮があるんですよね。」

■長谷川きよし ♪ 別れのサンバ ♪
吉行さんは長谷川きよしさんと10年以上舞台を一緒にやられているそうです。
先日、はじめて客席で長谷川さんのステージを聞く機会があって、あらためていい歌だと思い感激されたそうです。

なぜ、女優の道に入ろうと思ったのですか?
「女優になろうと思ったことは最初なくて、中学3年の時に初めて舞台を観たんですね。私は凄く身体が弱くて、お友達と遊んだり出来なかったもんですから、子供の時から本を読んで、本の中の人達が私の友達だったわけなんですよ。それを舞台を初めて観た時に、まるで本を読んでるみたいに登場人物が、生きた人間が出て来て、しゃべって、本をめくるみたいに話が進んでいくって言う、そう言う世界があるってことを初めて知りまして、これは素晴らしい所だと思って、でも身体も弱いですし、自分が女優になるってことは考えずに、高校を卒業すると同時に劇団の試験を受けて、なんか自分がその劇団の中で出来る仕事がないかと思って。」

それがなぜ女優に?

「本当にきっかけって言うのは不思議なもので、アンネの日記と言うのを劇団でやることになりまして、アンネの日記はいまでも皆さん読んでいらっしゃる感動的なものなんですけど、主役が13歳の女の子なんですね。それで劇団の中には沢山芝居出来る人はいるんだけれどって言うんで、一般から募集したんです。それで大勢の方が応募してきて、その方が選ばれたんですけれど、もうひとり、研究所からもひとりって言うんで、私が勉強だから、出るか出ないかわからないけれども稽古場で一緒に練習しなさいって言われて、それでやってて。そしたら選ばれた、最初にアンネの役をやってた方が風邪で声が出なくなっちゃって、急遽、私が舞台に出ることになりました。」

その後、劇団はやめられてフリーで女優をやられたわけですよね。

「ちょうど時代が、そう言う時代になって来て、いろんな演劇が出来てきて、新しい演劇も出来てきたので、私はもう本当に老舗のような立派な劇団で大切に育てられてたんですけれど、やっぱり外の空気にもあたりたくなってフリーになった。」

子供の頃に身体が悪かったことは演技に支障はなかったんですか?

「やっぱり本当に元気な人と比べるといろいろ支障はあるんですけど、ただ、喘息って言う病気だったんですけど、凄く喘息って我慢強くなっちゃうんですよ。苦しいのを我慢しなきゃいけないって言うのがあって、そう言う性格がね、うまくいったんじゃないかと思って。嫌なこととかいろいろあるんですけども絶対めげないみたいな。ですから続いていたのかなって思って。」

■吉岡しげ美 ♪ 私がいちばんきれいだったとき ♪
若い時に戦争があって、そう言う時代に過ごしたって言う茨木のり子さんの詩。やっぱり8月とかになるとどうしても戦争のことを思い出しますし、忘れちゃいけないこと。そんな気持ちで選ばれた曲です。

これからチャレンジしてみたいこと?
「ともかく自分が知らないことをもっと知りたい。この歳になってもまだまだ世の中には私の知らないことが一杯あるはずだから。そう言うものを見たり聞いたり、知らない人に出会ったり、そう言う楽しみがまだまだ残ってるってことが、これからの歓びかな。」

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “好奇心”
私の中に好奇心がなくなった時は、それが最後かなって思っているから。
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# by crossroadmidori | 2010-09-13 21:03 | 2010.08.20(吉行和子)

遠山 正道(株式会社スマイルズ 代表取締役社長)   

今週のゲストも先週に引き続き株式会社スマイルズの代表取締役社長 遠山 正道さん。

いま、遠山さんが力を入れているのは?
一般的にリサイクルショップと言えば、不要品を買取って手直しして売るイメージだと思うのですが、
「出品者の方が顔写真とお名前とプロファイルを出して、物のストーリーを添えて出して頂くと言うものなんです。ベルギーに行った時に買ってきた壷なんだけど、いまのインテリアには合わなくなったとか。」
俳優さんや歌手の方など、いろんなジャンルの方が出されたものにはプレミアムがついたりしますよね。
「著名人の方にもいろいろ出していただいていますし、そうじゃない方ももちろんいらっしゃるんですけども、そう言う物のストーリーを添えてって事と、実際にはアンティックも言ってみればリサイクルのひとつなので、全体の1/3ぐらいは海外で買い付けてきてるアンティック物なんですね。だいたいバイヤーがいまはほぼ毎月1度はアメリカとかヨーロッパとかから買い付けてきてまして、いまは店は丸の内と表参道ヒルズにあるんですけれども、入っていただくと、一見するとアンティックショップと言うか、私が言うのはなんですが、上質な空間みたいな世界なんです。」

えっ、リサイクルショップなの?って思いますよね。

「そう言う所に個人から出品いただいた物がまぎれているんですね。だから全体感として、そう言う意味で言うと、わりと大事にされている物を出していただいた時にですね、われわれが出来ることは、いい場所で、インテリアも片山正通さんと言う売れっ子のデザイナーの方なんですけど、片山さんのインテリアで、ディスプレイも非常にこだわっていまして、物をお預かりして最大限魅力的にお店をお見せして、古いいい物ともまぜながら見せていくんですね。」

探す楽しみがあって、端から端まで見てしまいそうですよね。

「そのギャップと言うのかな、リサイクルショップと聞きながら行くと、えっ、いい心にどんと触れていただいて、かつ、いろんなものが沢山溢れていますから、まさに宝探しと言うかですね。全て一点物ですから見てて飽きないと言うかですね。」

■カジノロワイヤル サウンドトラック♪ カジノロワイヤル メインタイトル ♪

企業とのタイアップ?
「企業からもご協力をいただいていて、例えばDEAN & DELUCAさんって言う人気のショップですけど、そこのトートバック、これもすごく人気なんですが、それのB品、ちょっと版がずれてるとか、それをお預かりして、そこにうちのオリジナルのデザインをほどこしてダブルネームで売っているんですね。」

それって、かえってプレミアですよね。

「われわれプロパー越えなんて言っているんですけど、もともとのプロパーよりも、より良い物、面白い物にしていこうと、リメイクとか、そう言う物もですね。あとユナイテッドアローズさんなんかも、傷物って言うのかな、ちょっとほつれがあるとか、そう言う事だけで販売の対象にならない物ってのが沢山あって、実際にはほんと全然ダメージのないものがあるんですよ。それをお預かりして安くご提供したりだとか。それから古い瀬戸の食器なんだけど、それもB品って言って、ちょっとはがれちゃったりとか、そう言う物にうちのオリジナルデザインをして販売したりだとか。」

ただでは出さないところがミソですよね。そこに付加価値が付くのですものね。

さらに将来の夢は?
「なんかコミュニティみたいなものはつくりたいですね。どっか地方でビレッジって言うのかなぁ。いい仲間が集まって来て、そこでもともとある技術だとか、そこで生産しているものとかを合わせながら、われわれ都会だと、どうしてもせわしなくなったり、この間、あるファッションショー、東京でいつもやってる、那須でやったのがあってですね。那須でやった時、ひつじが百頭出て来たりとかですね。東京じゃあり得ない訳ですよね。そう言う、景色にしても空気にしても、水にしても、東京ではあり得ないものが地方ではあり得る訳ので。そこに東京ならではのものも入れ込んでいったりとかね。そうしながら、何か新しいコミュニティみたいなものができたらなぁと。」

■サンタナ ♪ サンバパティック ♪

いまの女性に対して?
「私はスープ ストック トーキョーって言うのをやっていると、社員が130人でアルバイトさんが1000人くらいいるんですけど、アルバイトさんで言うと9割以上が女性なんですね。あと私のデスクの周りも女性が多くてですね。そう言う意味で言うと女性だからどうのって言う、差があまりないって言うか。この間も電通さんに仕事で行ったんですけども、その時、ふっと気が付くと、われわれ、PRが女性、商品開発が女性、もうひとり女性がいて、あと、メーカーさんも出てきて、その人も女性で、10人くらいの打合せだったんだけど、男子は私ひとりだけで。そう言うのに気が付くと、意外に全然、その差っていうのが無くて、三菱商事だと、そうはなんないですね。でもいまやわれわれは全然普通ので。まぁ、だから楽しく、いろいろなアイデアを出しながら進めてますから、むしろ男だけでね、なんか会議室でやっていても不気味ですよね。」

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “公私同根”
遠山さんの造語。公も私も根っ子は一緒。個人のワクワクする気持ちとか、エネルギーみたいなものと、ビジネスのスキームだとか、そう言うことって、別に相反するものじゃなくて、別の物じゃなくて、うまく合わせながら新しいビジネスのスタートになればと思っているそうです。
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# by crossroadmidori | 2010-08-13 18:19 | 2010.08.13(遠山正道)

遠山 正道(株式会社スマイルズ 代表取締役社長)   

今週のゲストは、スープ専門店「スープストックトーキョー」「トーキョールー」、ネクタイブランド「giraffe」、全く新しいコンセプトのリサイクルショップ「PASS THE BATON」を展開する株式会社スマイルズの代表取締役社長 遠山 正道さん。

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現在の遠山さんの活動は?
「スープは、もう、始めて10年たつので、うまくまわってきているというか、会社そのものもマネージメントは副社長が得意ですし、人事は人事部長みたいな感じで、スープもスープストックの営業部長が頑張ってくれているので、私はPASS THE BATONと言う新しいリサイクルショップが去年の9月にオープンしまして、だから、そっちにかかる時間の方が多いかな。」

スープをつくっている会社が
リサイクルショップを始めたのはなぜ?

「もともと、スマイルズと言う会社なんですけども、株式会社スープストックトーキョーではなくて。企業理念が生活価値の拡充っていう理念なんですけども。もともと食だけのつもりではなかったので。Giraffeと言うネクタイのブランドがあるんですけども、これは実はスープをやる前の今から15年ぐらい前に私が三菱商事のサラリーマンだったんですけれども、なんかサラリーマンってかっこ悪いなぁって言う思いがあってですね。だけど、本当はね、サラリーマンの仕事がないと、今ここにいる、このテーブルとか飲んでるお茶とか、なんにしてもまわっていかないのに、だけれどもサラリーマンって自虐的だったりとか、認められなかったりするので、もっと自分たちも自信を持って一歩前に出るような風になりたいなぁと思って、まずは自分で自分の首をぐっと締めるって意味でネクタイのブランドをやろうと。」

遠山さんの発想って、なんだか洒落みたい?
「洒落れって言うよりね。もうちょっと高い理想かなぁ。ちなみに私、その時、三菱商事の情報産業部門のサラリーマンだったんですよ。だからアパレルも関係ないですし、だけど、なんかビジネスマンがもっと元気になるって意味で、ネクタイブランドを当時の上司に提案して、まあ、それにりに面白いじゃないかとは言っていただきながら、現実的にはね。なかなか、すぐには進まなくて、スープを始めて5年目くらいにも、当時の三菱商事の外食のユニットの部長にも提案したんですけ、外食の会社ですから、なんでネクタイかねぇみたいな感じて、それもうまくいかなくて、その時、個人で始めたんですね。当時まだ三菱商事のサラリーマンだったので、一応、兼業禁止てのがあるから、私のかみさんに社長をやってもらって別の会社をつくった。で、ネクタイを始めたりとか。Giraffeってキリンですけども高い視点で遠くをみつめて、ひとりひとりがそうすれば世の中が良くなるだろう。そう言う想いなんですね。」
人の生き方、生活の全般、一見、スープやネクタイ、リサイクルなど、多角的に見えますが、人間の生活の豊かさを目指していらっしゃるんですね。

■スマイルズ社員のみなさん ♪ くださいボルシチ ♪
4年くらい前に、あるラジオ番組に3週にわたって出演する機会ががあり、毎週曲が選べたので、だったらつくっちゃおと言うことで制作されたオリジナル曲です。歌は社員の方、楽器は仲間たち、コーラスは遠山さんや遠山さんの娘さんだったり、お店でも時々かかっているそうです。

スープストックをやられるきっかけは?
「10年サラリーマンをやった時にですね。このままの延長線だと自分は満足しなさそうだなぁと思ってですね。なんかやらなきゃと思って。私、絵を描くのが好きだったので絵の個展をやりましてね。それがおかげさまで作品が全部売れたりとかあって、自分がつくって評価されると嬉しいですし、そういう手ざわり感のある事がやりたいなぁと思って。三菱商事って一次産業、原料とか、そう言うのが多いじゃないですか。だから、もっとリテールとか、そう言うのがやりたいなぁと思って、当時、ケンタッキーフライドチキンさんに出向させていただいて、スープストックの案を提案したんです。女性がひとりでスープをすすっているシーンが思い浮かんでですね。これは、なんか面白くなりそうだなぁと思って。女性がひとりで行ける店ってなかったなぁと言う思いもあったので。それで物語のようなものを書いて、プレゼンをして、じゃあやってみようかと言うことになって、1号店が99年なので、もう10年とちょっとたったと言うところでしょうか。」
その時は出向しているとは言え三菱商事の社員だったんですね。
「それで3年たって、また三菱商事へ出向から戻る時に、その時に三菱商事側で会社をつくらせてもらって、私も株を一部持って、結果的に社内ベンチャー第1号みたいなカタチになったんですね。」
それって、サラリーマンでありながらオーナーにもなったんですよね。
「当時は13%だったんですけども、2000年に会社が出来て、10年間やって、もう一昨年になるかなぁ。MBOと言ってですね。商事から株を買わせていただいて。スープ、商事もご評価している面もあるんですけど、やっぱりスケール感と言うか、全然違うので、だから株を買いたいって事を商事側に提案したら、ああ、それがちょうどいいねって事で、意外とすんなり。」

■ 大滝詠一 ♪ 恋するカレン ♪
遠山さんが大学の頃によく聞いていた曲です。

遠山さんはアーティスト?
「まぁ、アーティストて言うのは、自分でアーティストだって言えば、もう、その瞬間、誰でもなれてしまう訳でして。」
そうは言っても松任谷由実さんコンサートのステージの絵を描いたり、ニューヨークで個展を開かれている遠山さん。アーティストの面も持たれている社長って、社員にとっても、とてもユニークだと思います。
「絵を描くのもビジネスもあまり変わらない感じって言うか、想い描いたものがカタチになっていくみたいなね。絵もビジネスもスープもリサイクルも全部、私の中では違和感がないって言うか。みんな同じような。こんなの出来たらいいよなぁみたいな。」

そう言うエネルギーになっているものってなんなのでしょう?
「私は60年代生まれなんでけれども、当時、凄く世の中がキラキラしていたって言うかね。それは後から振り返ってみてとか、いわゆる60年代、ビートルズとかギャッビーとかアポロ13号とかね。なんか、そう言う時代感みたいなのが自分の中の憧れみたいなものがあって、当時、東京で生まれ育った所もですね。凄く、そう言う勢いがあったんですね。それで、なんか、そう言う、またキラキラ感をと言うかですね。それに仕事とかも、本来、人が人の為にやるものじゃないですか。だけど、なんか、政治も経済も仕組みが巨大化して、細分化されたり目的もはき違ったりして、そう言う意味で言うと、うちは人が人の為にするんで喜んでいただいたりとかね。そう言うシンプルな事をやっていて、そう言うことが非常に楽しいっていう実感をね。うちのスマイルズの五感って言う五つの言葉があるんですけども、その中に賞賛て言うのもあって、ちゃんと自分たちでつくって世の中に提案して、ご評価いただけると嬉しいじゃないですか。それの循環っていうか、つなげていければなぁ。」
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# by crossroadmidori | 2010-08-06 18:05 | 2010.08.06(遠山正道)

森荷葉(和文化総合プロデューサー・エッセイスト)   

今週のゲストは、和文化総合プロデューサーでエッセイストの森荷葉さん。

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和文化総合プロデューサー?
和文化プロデューサーは、和の文化を現代のライフスタイルの中に、どのように伝えていくかを提案していくお仕事です。和と言っても凄く漠然としていますよね。
「一番多いのは着物ですね。それから和のマナー、作法ですね。その二つが一番多いところでしょうか。」
私の母は着付師なので、だから着物は小さい頃から近い存在だったのですが、着物を着ると動きが変わりますよね。
「そうなんです。とても美しい和の立ち振る舞いと言うのは、和のお稽古を基にして立ち振る舞いが出来ているんですね。ですから、着物を着たら、こんな動き方をするとか、着物を着たら、こんな座り方をすると言うことが前提で和の作法と言うのはつくられているのです。ですから、そのまま洋服に持って来ちゃうと、なかなか動きにくいものになってくるわけですね。ですから、そのまま持ってこずに、うまくコーディネートして洋の生活にも合うようにお伝えするのが私の仕事と言うことです。」
私が毎年笑ってしまうのが、成人式の方が初めて着物を着る時に前に足がでないんですよね。日頃から慣れ親しんでいないからだと思いますが。
「望月さんのように小さい頃から着物に親しんでいることは、そう多い訳ではないので、二十歳の時に初めてと言う方が多いですよね。そうすると、うまく歩きにくいと言うのは二つ理由がありましてね。ひとつは着付師が悪いんですね。うまく歩けるような着付けをしてあげなければいけないと。腰から下をきちっとして巻いてしまいますとね。当然歩けません。包帯を巻いているような状態になりますのでね。もうひとつは、着付けをし終わった後に、こうやったらお手洗いは楽にいけますよとか、こうやったら階段、ちゃんと上がれますよって、それを着付けをした人間がきちっと伝えてあげるのが、私は着付けの仕事だと思っているんです。」
いまの私たちの生活は洋でまわっていますよね。森さんは昔の和の作法を現代に活かしていくのか、伝えていくのかをお仕事にしていらっしゃいます。

■嵐♪トゥルース♪
和文化のプロデュースをされている森さんが選曲したので、ビックリだったのですが、
「皆さんね、和の仕事をしているって言うと必ず着物じゃないかとか、それからおしとやかな麗夫人じゃないのかとか、とんでもない話で、音楽って言うのは幅が広いと思うんですけども、その人の気が上がると言うかね。心が躍ると言うか、そう言うものにうまくめぐりあえれば、どなたでもいいと言う訳で。」

和文化に興味を持たれてお仕事にしたきっかけは?
「一人っ子で育ちまして、いろんなお稽古ごとをずっとして、そのまま家庭に入ってしまって、外で働いたことがないわけですね。それで30歳になりました時に自分の存在をアピール出来ると言うか、活かすと言うか、自分って何だろうって、皆さん悩む時期があると思うんですよ。そうすると、自分はいつも誰かに守られて生きてきた。小さい頃は両親だったり、その後はパートナーだったり、また両親から引きずったいろんな人脈に助けてもらったりと。なんか、それって違うんじゃないのかなぁって言うことで。普通はですね、そう思うだけで終わっちゃうんですけども、なんかやってみようかなぁなんて思って、今までのものを全部捨てるといいますかね。一度きれいにクリーンにして、それで新しいことにチャレンジしようと思って、和の世界に純粋に入っていく訳ですけれども、その時、私、就職しようと思ったんですね。全然、社会性がなかったものですから。履歴書の部分で全部ばつが出ちゃう。働いた経験がないでしょ。どこも取ってもらえないような状態で、じゃあなんかやろうかなと思ったら、私の中に何が残っていたかと言うと、いろんなお稽古ごとから重ねてきたいろんな人脈とか、陶芸だったり、染色の世界だったり、そういう中で、和に関わることだったら、なんとなく手を染めたことがあるので、それを主体にした何か仕事をしようと思って、最初は和のギャラリーから始めたんです。創作陶器とか、茶陶ですね。創作の着物とか。そのうちに、それを売るためには企画をしないとなかなか売れないんですよね。企画をしはじめて、当時まだめずらしかった雅楽を一般の人にご紹介しながら物を売っていく訳ですけど、皆さんが非常に満足してくれる。その中で何人かは私のところのギャラリーのお着物を買ってくださるとか、陶器を買ってくださるとか、販売に結びついていくわけですね。そのうちに企画の方が面白くなってしまって、雅楽なんて宮内庁でやっていることですから、誰もが普通は知っていると思っていたことが、実は誰もが知らないことだったので、これを噛み砕いてね。もっとわかりやすい道を私は開く企画をもっとしていこうと言う風に思った。」
このことが発展して今に至っているんですね。

■ライアン・シュアー ♪スピークロー♪
森さんの仕事が確立されたのが35から36歳くらい、その時に友人から「素敵な曲だから」と送られた曲。人がセレクトしたものを有り難くいただいて、うまく取り入れていく、素直にいただく気持ちに気づかせてくれた曲。「人と共に生きていくんだから人をもっと大事にしなきゃいけないなとか、人の心の中と言うか、情緒と言いますかね。そう言うものを、こちらがわかってあげて、いろんなことを進めていかないと物事は成功しないんだなぁって教えてくれた曲です。」

これからやりたいことは?
海外で日本のいまの和文化を紹介したい。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “ありがとう”
森さんのお母さまが亡くなった時に、お母さまの遺品を整理した時にいたるところに「ありがとう」と言う紙が貼られていた。その時、「ありがとう」がこんなにいい言葉だったと感じられた。
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# by crossroadmidori | 2010-07-30 19:09 | 2010.07.30(森荷葉)

奥田透(銀座「小十」オーナーシェフ)   

今週のゲストは、「銀座小十」オーナーシェフの奥田透さん。2008年版からミシュランガイド東京で3年連続三ツ星をとられています。

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お店の雰囲気は?
「うちは、本当に小さなお店なんですね。カウンターが6席と4名様が入る個室が二つしかなくて、14人ですか、満席になっても。それだけしかないお店で、坪数にすると20坪。本当にこじんまりした感じのお店です。」

お料理の内容は?
「日本料理ですので季節の、四季の食材が一番大事でして、6月1日から世の中も衣替えじゃないですか、衣替えから夏の料理、夏の食材といいますとあゆが解禁になったりですとか、日本料理らしいものですとはもですとか、うちは天然のおっきなうなぎを出したりですとか、そういう、ちょっと特殊なものを使ったりですとか、いまはもう夏満載で、それを八品、九品ですか、ぐらいの料理構成で、懐石料理と言うとわかりやすいのかもしれませんけど、そんな感じでお出ししています。」
やっぱり、季節のものって言うと日本料理は、まさに得意分野ですものね。
「昔は、たぶん、季節とか旬とか言わなかったんじゃないかと思うんですね。その時穫れたものが当たり前であって、最近は便利になって、沢山の知恵があって、一年中同じような美味しさで食べれるものが多くなっちゃったじゃないですか。そういうものが日常に出まわるようになってから、あえて本当は、これが美味しいとか、本当は、この時期は、こういうものを食べるんだよっていうみたいな、季節とか旬とかの言葉が色濃くでているんじゃないかなぁと思っています。」
自然の摂理というか、旬のものは人の身体にもいいって言いますよね。

■ミスターチルドレン♪イノセントワールド♪
奥田さんは静岡で勉強をしていたのですが、もう一度、料理の勉強をやり直したいと考え23歳の時に料理の勉強をするために徳島のお店へ。給料はいらない、寝るところがあればいい、捨て身の気持ちで頼み込んでお店へ入れていただいたそうです。部屋にはテレビもなく、そんな時に携帯のCDプレイヤーを購入し、聞いた想い入れのある曲です。

料理を目指すきっかけは?
もともとは小学校の先生になりたかった。高校に入って受験勉強をしていたのですが、
「夏休みを過ぎたくらいから、まったく勉強わかんなくなっちゃったんですよね。聞いてもわからないわけですよ。まずいなぁと思って、中学時代の友達に細かく教えてもらうんですけど、だんだん理解出来なくなったんですよね。わかりやすく、落ちこぼれたわけですよ。落ちこぼれるってこういうことなんだぁみたいな。当時、世の中はバブルの後半でして、いい大学、いい就職。これが成功の証みたいな風潮が凄く強かった時なんですが、僕は勉強が出来なかったわけですから、普通に考えると僕は大学に進学出来ないわけじゃないですか。そうしますと、もしかしたら隣のみんなに将来使われるんじゃないかと思ったんですよ。世の中は、こういう構図になっているかと思うと、凄く男として悔しくて、悔しくて。野球は一生懸命やっていたんですが、身長はいま170cm、どこか限界があるじゃないですか。みんながみんなプロ野球の選手になれるわけでもサッカー選手になれるわけでもなくて、おんなじように努力しても、どこか限界はあるんだなぁと思うと、そういう持って生まれた身体能力、まったくこれに関係のない仕事に就いて、その道で、逆に言うと、勉強で極めた人。スポーツで極めた人。お金持ちとか家柄が良くて世の中登っていった人と最終的に対等に話が出来る人間になりたいとなぁと思った。なぜなら人としては劣っていると思っていなかったから。最初は学歴社会への反発でした。」
実際にはどういう行動に移られたかと言うと、
「親戚が魚屋さんですとか、そういった仕事にもたずさわっていて、料理を、男性が包丁を握っている姿が、もの凄くカッコ良く見えたりしまして、知り合いから料理屋さんに修行に行かなくてはならなくて、料理屋さんを紹介していただいて、そこからがスタートですね。」
徳島へ修行へ行かれたのも誰よりも極めたい気持ち、もっともっと、次の世界があるんじゃないかと思われたからです。
10年の勉強を経て静岡へ戻ってお店を構えたのは、駿河料理のタイトルで料理をつくりたかったから。
「静岡は本当にいい食材がありあまっているほどありまして、それが意外と知れ渡ってないんじゃないかなぁみたいな。市場でアルバイトしていることもあったんですけど、目の前に見える魚とかが、こんなにいいものがあるのに、なんでうまく表現出来ないんだろうみたいな。自分の中でも自問自答があったんですね。極端なことを言うとオール静岡のもの。野菜、果物、すべて。と言うことをタイトルにして料理が出来ないかなぁと思って静岡に帰って来て商売を考えたわけですね。」
その矢先にバブルが崩壊、これまでにない不景気が訪れます。それでもお店を開こうと思い物件を探したのですが、見つけた物件にケチがつき契約が流れてしまいました。
それから3ヶ月の無職が続き、食べるものにも困った状況となってしまい奥田さんがとった行動は?
「そうなったら僕は料理が出来るわけだから、もう考え方を変えて、近所の方から、同級生から、会社帰りのお勤めをしている方から、みんな寄れるような、気楽でいながら美味しいお店が出来ないかなぁと、これもひとつの道ではないかなぁと思ってやったのが両替町の花見小路という店なんですね。」

■森山直太朗 ♪さくら♪
ミシュランの三ツ星をとってから、中学の講演をお願いされた時に、奥田さんのために歌ってくれた想い出深い曲。

銀座出店のきっかけは?
花見小路も順調だったのですが、何かやり残しているのではないか、10年後に後悔したくないと思い、一番人が集まって評価も厳しい東京で、一番の勝負をかけたいと考えたそうです。

これからやりたいことは?
大橋さんと同じ歳で、大好きなアーティスト。憧れであり、目標。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “一生懸命”
なんでも自分の能力を最大限に引き出す。一生懸命やって、これ以上ないとこまでやったら、なによりも自分が納得できる。
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# by crossroadmidori | 2010-07-23 18:31 | 2010.07.23(奥田透)