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奥田透(銀座「小十」オーナーシェフ)   

今週のゲストは、「銀座小十」オーナーシェフの奥田透さん。2008年版からミシュランガイド東京で3年連続三ツ星をとられています。

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お店の雰囲気は?
「うちは、本当に小さなお店なんですね。カウンターが6席と4名様が入る個室が二つしかなくて、14人ですか、満席になっても。それだけしかないお店で、坪数にすると20坪。本当にこじんまりした感じのお店です。」

お料理の内容は?
「日本料理ですので季節の、四季の食材が一番大事でして、6月1日から世の中も衣替えじゃないですか、衣替えから夏の料理、夏の食材といいますとあゆが解禁になったりですとか、日本料理らしいものですとはもですとか、うちは天然のおっきなうなぎを出したりですとか、そういう、ちょっと特殊なものを使ったりですとか、いまはもう夏満載で、それを八品、九品ですか、ぐらいの料理構成で、懐石料理と言うとわかりやすいのかもしれませんけど、そんな感じでお出ししています。」
やっぱり、季節のものって言うと日本料理は、まさに得意分野ですものね。
「昔は、たぶん、季節とか旬とか言わなかったんじゃないかと思うんですね。その時穫れたものが当たり前であって、最近は便利になって、沢山の知恵があって、一年中同じような美味しさで食べれるものが多くなっちゃったじゃないですか。そういうものが日常に出まわるようになってから、あえて本当は、これが美味しいとか、本当は、この時期は、こういうものを食べるんだよっていうみたいな、季節とか旬とかの言葉が色濃くでているんじゃないかなぁと思っています。」
自然の摂理というか、旬のものは人の身体にもいいって言いますよね。

■ミスターチルドレン♪イノセントワールド♪
奥田さんは静岡で勉強をしていたのですが、もう一度、料理の勉強をやり直したいと考え23歳の時に料理の勉強をするために徳島のお店へ。給料はいらない、寝るところがあればいい、捨て身の気持ちで頼み込んでお店へ入れていただいたそうです。部屋にはテレビもなく、そんな時に携帯のCDプレイヤーを購入し、聞いた想い入れのある曲です。

料理を目指すきっかけは?
もともとは小学校の先生になりたかった。高校に入って受験勉強をしていたのですが、
「夏休みを過ぎたくらいから、まったく勉強わかんなくなっちゃったんですよね。聞いてもわからないわけですよ。まずいなぁと思って、中学時代の友達に細かく教えてもらうんですけど、だんだん理解出来なくなったんですよね。わかりやすく、落ちこぼれたわけですよ。落ちこぼれるってこういうことなんだぁみたいな。当時、世の中はバブルの後半でして、いい大学、いい就職。これが成功の証みたいな風潮が凄く強かった時なんですが、僕は勉強が出来なかったわけですから、普通に考えると僕は大学に進学出来ないわけじゃないですか。そうしますと、もしかしたら隣のみんなに将来使われるんじゃないかと思ったんですよ。世の中は、こういう構図になっているかと思うと、凄く男として悔しくて、悔しくて。野球は一生懸命やっていたんですが、身長はいま170cm、どこか限界があるじゃないですか。みんながみんなプロ野球の選手になれるわけでもサッカー選手になれるわけでもなくて、おんなじように努力しても、どこか限界はあるんだなぁと思うと、そういう持って生まれた身体能力、まったくこれに関係のない仕事に就いて、その道で、逆に言うと、勉強で極めた人。スポーツで極めた人。お金持ちとか家柄が良くて世の中登っていった人と最終的に対等に話が出来る人間になりたいとなぁと思った。なぜなら人としては劣っていると思っていなかったから。最初は学歴社会への反発でした。」
実際にはどういう行動に移られたかと言うと、
「親戚が魚屋さんですとか、そういった仕事にもたずさわっていて、料理を、男性が包丁を握っている姿が、もの凄くカッコ良く見えたりしまして、知り合いから料理屋さんに修行に行かなくてはならなくて、料理屋さんを紹介していただいて、そこからがスタートですね。」
徳島へ修行へ行かれたのも誰よりも極めたい気持ち、もっともっと、次の世界があるんじゃないかと思われたからです。
10年の勉強を経て静岡へ戻ってお店を構えたのは、駿河料理のタイトルで料理をつくりたかったから。
「静岡は本当にいい食材がありあまっているほどありまして、それが意外と知れ渡ってないんじゃないかなぁみたいな。市場でアルバイトしていることもあったんですけど、目の前に見える魚とかが、こんなにいいものがあるのに、なんでうまく表現出来ないんだろうみたいな。自分の中でも自問自答があったんですね。極端なことを言うとオール静岡のもの。野菜、果物、すべて。と言うことをタイトルにして料理が出来ないかなぁと思って静岡に帰って来て商売を考えたわけですね。」
その矢先にバブルが崩壊、これまでにない不景気が訪れます。それでもお店を開こうと思い物件を探したのですが、見つけた物件にケチがつき契約が流れてしまいました。
それから3ヶ月の無職が続き、食べるものにも困った状況となってしまい奥田さんがとった行動は?
「そうなったら僕は料理が出来るわけだから、もう考え方を変えて、近所の方から、同級生から、会社帰りのお勤めをしている方から、みんな寄れるような、気楽でいながら美味しいお店が出来ないかなぁと、これもひとつの道ではないかなぁと思ってやったのが両替町の花見小路という店なんですね。」

■森山直太朗 ♪さくら♪
ミシュランの三ツ星をとってから、中学の講演をお願いされた時に、奥田さんのために歌ってくれた想い出深い曲。

銀座出店のきっかけは?
花見小路も順調だったのですが、何かやり残しているのではないか、10年後に後悔したくないと思い、一番人が集まって評価も厳しい東京で、一番の勝負をかけたいと考えたそうです。

これからやりたいことは?
大橋さんと同じ歳で、大好きなアーティスト。憧れであり、目標。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “一生懸命”
なんでも自分の能力を最大限に引き出す。一生懸命やって、これ以上ないとこまでやったら、なによりも自分が納得できる。

by crossroadmidori | 2010-07-23 18:31 | 2010.07.23(奥田透)

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