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中西浩一(株式会社オンリー 代表取締役社長兼会長)   

今週のゲストは、株式会社オンリーの代表取締役社長兼会長をやられている中西浩一さん。働く男女には欠かせないスーツの販売で全国展開をされています。

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オンリーって、どんな会社?
静岡にも店舗がある「ザ・スーパースーツストア」を中心に、働く女性を応援する「シー・ラブズ・スーツ」、オーダー専門の「インヘイル エクスイル」、「スーツアンドスーツ」など、広く展開されています。
私が静岡店を訪れた時に気がついたのがスーツの並べ方。身長別・体型別になっていたので並べ方が全然違うと言う印象でした。中西さんの思いつきで、よくあるA5とかA6とか、独特の名前でわかりにくいと感じたから、お客様も少なからず身長と体重くらいは覚えてるだろうと、お客様に自由に選んでいただくための心遣いだそうです。
オーダーは、もっと気軽にオーダーが出来る「テーラーメイド」と言う名前で注文を頂いているそうです。もちろんシンクファッション、シンクバリュー、オーダーでも38,000円から受けていらっしゃいます。オーダーは注文してから作るため在庫ロスがないため、お求めやすい価格で提供できるそうです。無駄なロスを省くオンリーの企業努力の表れですね。

■松田聖子 ♪あなたに逢いたくて♪
今日は想い出の曲と言うよりは、お話の時代背景、その当時流行していた曲でお送りしています。

仕事をはじめたきっかけは?
中西さんのお父様が「テーラー」を営んでいらっしゃって、大学受験に失敗したことをきっかけに、早くいちにんまいになりたくて、親に楽をさせたい、お父様の仕事を子供の頃から見ていたので、洋服の道に入るのがいちにんまいになるのに一番早いと思い「テーラー」で修行することを決めたそうです。昔の「テーラー」は縫製→カッティング(裁断)を経て営業にでるのだけど、「テーラー」の社長に縫製は向いてないから店に出ろ(営業)と言われ、いきなり営業、縫製はほとんど習っていないそうです。ただ、カッティングはしっかり習いたいと思い、裁断学校に行ったり、ヨーロッパに勉強に行ってマスターしたそうです。

独立開業はクルマがお店?
「テーラー」で5年間修行の後、24歳で「紳士服中西」を独立開業。10年落ちのコロナと開業資金21万7千円。開業資金は今でも机の中にしまっていて、何かあるごとに見て初心を思い出しているそうです。
当初はクルマの中に生地を置いて訪問販売。5年後の29歳に日頃から可愛がっていただいていたお客様にアドバイスをいただき、オーダースーツだけではなく、先を見つめて、もっと広い意味で、紳士服を扱って行こうと考え、株式会社オンリーを設立したそうです。
オンリーとは、一点もの、オンリーワンの意味があるそうです。

日本紳士服技術コンクールにおいて
最高の栄誉である「高松宮技術奨励賜杯賞」を受賞

中西さんはカッティングはやられるけれど、縫製はやられない。その当時、会社には素晴らしい職人さんが多数在籍されていたが、その中でも50歳を迎えられる職人さんがいて、その人は洋服づくりが人生だと言うような人で、50歳の節目に二人で素晴らしい服をつくってコンクールに出そうと言うことになり、40日間かけて一着のタキシードをつくって出品したら最高位の賞をいただくことになったそうです。

順風満帆?
39年間、凄く順調に歩んで来られたように見える中西さんですが、前年対比で売上が落ちた事が過去に3回。中西さんにとっては、その3回が転機になっているそうです。
1回目は株式会社オンリーをつくった時。どうしても去年の売上を増さらず、なんとかしなければと思っていた時にアドバイスをいただきオンリーを設立。
2回目がバブル崩壊の1995年。バーゲン以外はなかなか売れない。40日間のバーゲンの売上が後の325日の普通の売上を増さっていた。その事にショックを受け、もう一度、原点に戻りイタリアメイドの服を46,000円と58,000円の二つの価格で売る、その代わりバーゲンもしないし社員販売もしない、社長も同じ価格で買うことを始めた。
「お客様に喜んでいただけるようにすれば、こんなに売れるのか」と実感したそうです。

■パフィ ♪これが私の生きる道♪

お客さんもつくりても仲間?
お客さんもつくりても仲間だから正直にやるのが大切。値段も製造価格を表示して値段はお客様に決めていただくことも考えたことがあるそうです。
3回目は2004年でオンリー初の赤字の年。翌年には無事回復して上場されたそうです。

将来の夢は?
ひとりでも多くの人にオンリーの洋服を着ていただき、喜んでいただけるような洋服をつくっていきたい。それから満足払いの店の実現。他にもマンツーマンで接客が出来る昔ながらの「テーラー」をはじめたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “知行合一”
知ることは行うこと。行うことは知ること。
やってみてアカンかったら、またそこで反省したらいいこと。
とりあえず知るためには行なわんとアカン。
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by crossroadmidori | 2010-04-30 18:48 | 2010.04.30(中西浩一)

中西浩一(株式会社オンリー 代表取締役社長兼会長)   

今週のゲストは、株式会社オンリーの代表取締役社長兼会長をやられている中西浩一さん。働く男女には欠かせないスーツの販売で全国展開をされています。
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オンリーって、どんな会社?
静岡にも店舗がある「ザ・スーパースーツストア」を中心に、働く女性を応援する「シー・ラブズ・スーツ」、オーダー専門の「インヘイル エクスイル」、「スーツアンドスーツ」など、広く展開されています。
私が静岡店を訪れた時に気がついたのがスーツの並べ方。身長別・体型別になっていたので並べ方が全然違うと言う印象でした。中西さんの思いつきで、よくあるA5とかA6とか、独特の名前でわかりにくいと感じたから、お客様も少なからず身長と体重くらいは覚えてるだろうと、お客様に自由に選んでいただくための心遣いだそうです。
オーダーは、もっと気軽にオーダーが出来る「テーラーメイド」と言う名前で注文を頂いているそうです。もちろんシンクファッション、シンクバリュー、オーダーでも38,000円から受けていらっしゃいます。オーダーは注文してから作るため在庫ロスがないため、お求めやすい価格で提供できるそうです。無駄なロスを省くオンリーの企業努力の表れですね。

■松田聖子 ♪あなたに逢いたくて♪
今週は想い出の曲と言うよりは、お話の時代背景、その当時流行していた曲をお送りしています。

仕事をはじめたきっかけは?
中西さんのお父様が「テーラー」を営んでいらっしゃって、大学受験に失敗したことをきっかけに、早くいちにんまいになりたくて、親に楽をさせたい、お父様の仕事を子供の頃から見ていたので、洋服の道に入るのがいちにんまいになるのに一番早いと思い「テーラー」で修行することを決めたそうです。昔の「テーラー」は縫製→カッティング(裁断)を経て営業にでるのだけど、「テーラー」の社長に縫製は向いてないから店に出ろ(営業)と言われ、いきなり営業、縫製はほとんど習っていないそうです。ただ、カッティングはしっかり習いたいと思い、裁断学校に行ったり、ヨーロッパに勉強に行ってマスターしたそうです。

独立開業はクルマがお店?
「テーラー」で5年間修行の後、24歳で「紳士服中西」を独立開業。10年落ちのコロナと開業資金21万7千円。開業資金は今でも机の中にしまっていて、何かあるごとに見て初心を思い出しているそうです。
当初はクルマの中に生地を置いて訪問販売。5年後の29歳に日頃から可愛がっていただいていたお客様にアドバイスをいただき、オーダースーツだけではなく、先を見つめて、もっと広い意味で、紳士服を扱って行こうと考え、株式会社オンリーを設立したそうです。
オンリーとは、一点もの、オンリーワンの意味があるそうです。

日本紳士服技術コンクールにおいて
最高の栄誉である「高松宮技術奨励賜杯賞」を受賞

中西さんはカッティングはやられるけれど、縫製はやられない。その当時、会社には素晴らしい職人さんが多数在籍されていたが、その中でも50歳を迎えられる職人さんがいて、その人は洋服づくりが人生だと言うような人で、50歳の節目に二人で素晴らしい服をつくってコンクールに出そうと言うことになり、40日間かけて一着のタキシードをつくって出品したら最高位の賞をいただくことになったそうです。

順風満帆?
39年間、凄く順調に歩んで来られたように見える中西さんですが、前年対比で売上が落ちた事が過去に3回。中西さんにとっては、その3回が転機になっているそうです。
1回目は株式会社オンリーをつくった時。どうしても去年の売上を増さらず、なんとかしなければと思っていた時にアドバイスをいただきオンリーを設立。
2回目がバブル崩壊の1995年。バーゲン以外はなかなか売れない。40日間のバーゲンの売上が後の325日の普通の売上を増さっていた。その事にショックを受け、もう一度、原点に戻りイタリアメイドの服を46,000円と58,000円の二つの価格で売る、その代わりバーゲンもしないし社員販売もしない、社長も同じ価格で買うことを始めた。
「お客様に喜んでいただけるようにすれば、こんなに売れるのか」と実感したそうです。

■パフィ ♪これが私の生きる道♪

お客さんもつくりても仲間?
お客さんもつくりても仲間だから正直にやるのが大切。値段も製造価格を表示して値段はお客様に決めていただくことも考えたことがあるそうです。
3回目は2004年でオンリー初の赤字の年。翌年には無事回復して上場されたそうです。

将来の夢は?
ひとりでも多くの人にオンリーの洋服を着ていただき、喜んでいただけるような洋服をつくっていきたい。それから満足払いの店の実現。他にもマンツーマンで接客が出来る昔ながらの「テーラー」をはじめたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “知行合一”
知ることは行うこと。行うことは知ること。
やってみてアカンかったら、またそこで反省したらいいこと。とりあえず知るためには行なわんとアカン。
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by crossroadmidori | 2010-04-30 18:47 | 2010.04.30(中西浩一)

加藤登紀子(歌手)   

先週に引き続き今週も加藤登紀子さんに素敵なお話をお伺いしました。
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■加藤登紀子  ♪知床旅情♪
今日のオープニング曲は加藤登紀子さんが1971年にレコード大賞歌唱賞を受賞された曲です。

歌手として、いろんな世界に飛んで行けるのが好き!
「時には昔の話を」、宮崎駿さんの映画「紅の豚」のエンディング・テーマですが、「あの日のすべては虚しいものだと、それは誰にも言えない」と言うフレーズを宮崎駿さんに気に入っていただき採用されたそうです。
登紀子さんはオリジナルの曲をつくったり歌っている時は自分がでるのだけど、歌手として、いろんな歌を歌っている時に、いろんな世界に飛んで行けるのが好きだそうです。
たとえば「紅の豚」のオープニング・テーマ「さくらんぼの実る頃」を歌っていると、いろんな人が生きた時代を自分の身体で感じられるような気がする。女の色気が漂ったりする歌は、なかなか自分のオリジナルではかけなくて、でもシャンソンを歌っている時はいろんな女になれる。だから、コンサートではオリジナルは半分くらい、後はいろんな曲を入れて構成するそうです。「紅の豚」はジーナ的なものと加藤登紀子的なものが両方クロスしたもので嬉しかったそうです。

赤い糸
私が大好きな「百万本のバラ」は登紀子さんのオリジナル曲だと思っていたのですが、ラトビアと言う国の革命歌だそうで、「さくらんぼの実る頃」も19世紀フランス市民の革命歌、「やはり、どこか、そういうものと赤い糸で自分の人生と結んでしまうところがあるのかなぁって。」そんな風に登紀子さんはおっしゃってらして、根本の想いとか、人々の沸き上がる、自然と本能的にしみ出てくるような想いを私は登紀子さんの歌から感じます。

■加藤登紀子 ♪時には昔の話を♪
スタジオジブリ 宮崎駿監督「紅の豚」のエンディング・テーマ。登紀子さんは「マダム・ジーナ」の役で声優として出演もされています。

曲づくりって、どうやって生まれてくるんですか?
日頃から登紀子さんは音楽は好きだけど、聞かないようにしている。自分の中から沸き上がってくる気持ちに身をまかせるような感じ。それって誰かの曲でない保証はない。だからいろんな曲を聞いて自分の中を他の人の曲で埋めちゃうと、その人の曲に捕われてしまうから。

■Yae  ♪あいをよる おもいをつむぐ♪
登紀子さんの次女Yaeさんの歌です。

男の子が欲しかったご主人
登紀子さんのご主人は男の子が欲しくて、女の子の名前が思いつかなかった。長女だけはご主人が名前をつけたけど、後の二人は登紀子さんが名前をつけたそうです。
ご主人が他界してから8年目、その間に5人のお孫さんが生まれたのですが、その中に男の子が二人。男の子の経験がなかった登紀子さんにとって、男の子はとっても楽しくて、男の子ってなんて困った生き物なの。何をやってもぶつけるし、棒を持って振り回すし、女の子の孫や兄弟と遊んでいてもなぎ倒すし、「男の子は生きていくのは大変」「男の子は面白い」だそうです。
ご主人が生きていてくれたらどんなによかったかなぁって思ったりするそうです。
きっとご主人も見てくれていますよね。


■加藤登紀子 ♪君が生まれたあの日♪
加藤登紀子さんの新曲。父親は子供に対して何を思うのか。ご主人をイメージしているのだけど、曲をつくっている過程で向いている相手が男の子に変わっていっている感じだそうです。
今年、45周年を迎える登紀子さんが、これから生きて行く若い人たちにエールとして送りたい曲だそうです。

話が尽きない、ずっとお話をしていたいなぁって、そんな雰囲気の登紀子さんでした。

■加藤登紀子 ♪我が人生に悔いなし♪
今日のエンディング曲は加藤登紀子さんの我が人生に悔いなしです。
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by crossroadmidori | 2010-04-26 18:48 | 2010.04.23(加藤登紀子)

加藤登紀子(歌手)   

今週のゲストは、女性から見てもとっても素敵な魅力を持ってらっしゃる加藤登紀子さんを2週に渡ってお迎えしてお話をお聞きしました。
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■加藤登紀子  ♪赤い風船♪
今日のオープニング曲は加藤登紀子さんが1966年にレコード大賞新人賞を受賞された曲です。

歌手生活45周年!
歌手生活45周年を迎えられた登紀子さんもデビュー当時はまだ大学生。新聞記者の皆さんからは芸能界には向かない、1年くらいでしっぽを巻いてやめちゃうんじゃないのと言われて、5年は頑張るって言い返してた登紀子さん。
そんな登紀子さんも結婚して子供をつくったら、また新しい世界がはじまるかもしれないと思い、1972年には一度引退をされています。
でも子供が出来て復帰した時は「もう本当に歌いたくて、歌いたくて、あぁ、こんなに私って歌いたかったのかなぁ。」って実感されたそうです。
最初は歌手の道一筋で、これで一生生きるぞぉって気持ちがなかったので、45周年って言うのが不思議な感じだったそうですが、いまでは死ぬまで歌っていたいなあって気持ちで一杯だそうです。
いまは45周年のコンサートツアーと新曲が発売されるのでキャンペーンに走り回っている登紀子さんですが、「鴨川の自然王国」や「佐渡のトキの環境自然大使」など、歌手以外でも活動されていらっしゃいます。
登紀子さんは「人はとどんな仕事を持っていても半分は命する時間が必要だよね。」と思いながらやってきているそうです。

■加藤登紀子 ♪ひとり寝の子守唄♪
1969年にレコード大賞歌唱賞を受賞された曲です。

1968年は歌手として本気になるきっかけとなった年
1968年は登紀子さんが「本当に、あんたやれるの?!」って悲壮な気持ちになった年。世の中にいっぱいフォークソングが出て来た時期で、世の中が本当にいろんなことが変わったった頃だったそうです
そんな時に、新宿のアンダー・グラウンド・シアター蠍座で寺山修司さんの演出で公演をしていた浅川マキさんと出会い衝撃を受けた。以後、浅川マキさんとは大親友になったそうです。
世の中はすごく華やかな時期、それとは裏側、陰陽な関係、反社会的なものとのせめぎ合いみたいなものがあり、お二人は、その真っただ中にいたそうです。

■浅川マキ  ♪かもめ♪
寺山修司さんの書いた詞。登紀子さんは寺山修司さんとも親好が深かったそうです。

若者が威張っていた時代、未知なるものに向かって何か創っていた時代。
若者が寺山修司さんのような権威がある人に対しても「なに、このへんなおっさん」みたいに、ビクビクせずに接することが出来た時代。ウキウキするような気持ちやワクワクするような表現がつまらないものになってはいけないってラジオやテレビでも思っていた時代。とってもおおちゃくなことが、むしろ歓迎されていた。当時「ハプニング」と言う言葉が生まれて、何が起こるかわからないような番組演出もあったそうです。
世の中がまだ、出来上がっていなかったから自由だった。とても楽しい時代ではあったそうです。

アマチュアリズム
音楽の場合でも大作曲家がつくった曲を流行歌手が歌ってるスタイルだったけれど、今の時代を表現するには、それじゃ追いつかない。自分たちの気持ちを歌うにははまらないみたいなものがあって、新しい時代を若い人たちがどんどんつくっちゃった。いままで、出来上がってきた権威・カタチをいつもどこかで打ち破るのはアマチュア。時代でスタンダードだと言われているものから、ちょっと一歩踏み出したり、壊したりするのはアマチュアリズムで、自分はその真っただ中から出てきた歌手だと思う。その時の自分と今やろうとしていることを比べても、そんなに変わらない。45年もやったんだから大御所でしょと言われても、時代に対してなにか新しいものをつくりたいなあって思った時に、それが新しいか古いかの問題じゃなくて、専門家じゃなくてもいい。人はみんな生きているわけだから、生きていることの中から生まれてくるものであれば誰がつくってもいい。そんな気持ちで今も歌をつくっているので、アマチュアリズムの究極でいいわって思ってらっしゃるそうです。

■加藤登紀子 ♪君が生まれたあの日♪
加藤登紀子さんの新曲。

来週も引き続き加藤登紀子さんをお迎えして、素敵なお話を伺います。

■加藤登紀子 ♪百万本のバラ♪
今日のエンディング曲は加藤登紀子さんの百万本のバラです。
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by crossroadmidori | 2010-04-16 18:35 | 2010.04.16(加藤登紀子)

木村久理子(銀座コクリコ美容外科 院長・医学博士)   

今週のゲストは、銀座コクリコ美容外科 院長の木村久理子さん。女性なら誰でも気になる美容のお話をお伺いしました。
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美容外科って、どんなことをするの?
銀座コクリコ美容外科は、レーザー治療を中心にほくろを取ったり、しわとかたるみの治療、脱毛などのプチ整形が多いそうです。
いまではプチ整形って、昔よりずっと身近になりましたよね。
お客様は女性が大半ですが意外にも男性の方もいらっしゃるようです。
男性の方が相談に見えられるのは髭の脱毛。
男性は毎日の髭のお手入れが大変なようで、レーザー治療で少しづつ髭を薄くしていったり、髭をはやしている方は髭のはえる場所をレーザー治療で調整してデザインされたりするようです。
整形と言うよりは化粧の延長、美容室にいくようなイメージですね。
年齢も幅広く30代が中心ですが70代や80代の方もいらっしゃるようです。
高齢の方で多いのが同窓会にいらっしゃる前にしわやシミをとる治療。
久しぶりに会う同窓生に素敵な自分を見てもらいたい。
その気持ち、わかりますよね。

■ペット・ショップ・ボーイズ ♪ディド・ユー・シー・ミー・カミング♪
久理子さんが鹿児島大学時代に車に乗っていた時に聞いていた80年代ポップスのひとつだそうです。

お医者さんになろうと思ったきっかけは?
久理子さんは高校の時にカリフォルニアに語学留学に。
通訳になりたくて留学したのだけど、お父さんがアメリカ人だったり、もともと英語がしゃべれる方たちと肩を並べて頑張るよりは資格を取ったほうがいいと思った。
また、人の役に立つ仕事がしたいと思い医者を目指した。
結婚を機に上京、いままでやってきた内科医の仕事とこれからやりたい仕事について考える機会があった。「内科は見て結果が非常にわかりにくい世界」で、カウンセリングをしている時、「私は患者さんの何を変えてあげられているんだろう」って自問自答する時があった。その頃、テレビでも美容関係の番組を目にすることがあって、「私もこの世界をやりたいなあ」と思うようになったそうです。
美容外科は見て結果がわかる世界で、治療がうまくいったら「患者さんに非常に喜ばれる」けど、うまくいかなかったら「先生どうなんでしょう」って、次の相談がくる世界。だから結果をださないといけないから厳しい世界ではあるけれど、自分の手で何かが出来たってやりがいになるそうです。

■ビージーズ ♪ツー・マッチ・ヘブン♪
久理子さんが10歳とか11歳の頃、アバとかビージーズの曲を聴く機会があって、洋楽にはまってしまった。語学留学につながったりもしているそうです。

銀座で開業するきっかけは?
美容に慣れ親しんだクリニックの銀座分院をやめて、自分で思う通りに患者さんのケアをしたり、やりたいことを実現する場をつくりたいと思っていた時に、足もみ屋さんで足を揉んでいただいていた時に向かいに空き部屋があったのを目にした。当時、銀座界隈には空部屋があまりなかったこともあり、「私はなんで空室を目にしたんだ?」インスピレーションを感じて、そこに決めたそうです。

将来の夢は?
久理子さんのクリニックは国籍、性別、年齢を問わず、いろいろな方がいらっしゃるそうですが、これからもいろんな方々のホクロやシミやたるみなど、ちょっとしたチェンジのお手伝いを長くやっていければと思っているそうです。

■ビリー・ジョエル ♪ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー♪
久理子さんが留学中によく聞いていた曲。「そのままのあなたで」、本当の意味で、その人のいい部分を引き出してあげたいと思っているそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “継続は力なり”
たいした事じゃなくても続ければ力になる。まさに久理子さんの美容医療に対するスタンスだそうです。
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by crossroadmidori | 2010-04-09 18:35 | 2010.04.09(木村久理子)

矢部澄翔(書道家)   

今週のゲストは、書道家の矢部澄翔さん。国内・海外と幅広く活躍されています。
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“書道家”って、どんなお仕事?
書道家と言うとイメージは字を書くお仕事?
澄翔さんは地元埼玉県川越市で、書道教室を営む傍ら様々なお仕事をされています。

企業イベントでパフォーマンスや講演
パフォーマンスと言うと、みなさんの前で書を書くと言うイメージですが、
澄翔さんは音楽に合わせて書いたり、様々なアーティストの方とのコラボレーションをしていらっしゃいます。
書道と言うと和のイメージ、和太鼓、お琴、三味線などの和楽器はもちろんですが、
最近、特にバイオリンなどの洋楽器やいろんな音楽に合わせて書かれていらっしゃいます。
この間はブラジルミュージックの太鼓の音に合わせて踊りながら書かれたとか。
無音でやっている時は「自分の世界観」ですが、
音楽が入るとそのリズム感で書くので、「まったく違った作品が生まれる」そうです。

テレビの題字や企業ロゴ
個展は「自分の想いをダイレクトに自由に表現」出来る。
商業ロゴは「お客様の要望を具体的に聞いて、より忠実に表現」していく。
「自分はこっちがいいと思っていてもお客様はそうじゃないと思っていることもありますし、その辺がまた、ちょっと違って面白いですね。」
でも、商業ロゴにも自分のこだわりやポリシーは入れているそうです。

海外での活動
もともと海外旅行が好きで、海外で仕事をしたいとずっと思っていたところ、縁があってスペインで仕事をする機会があり、以降、ニューヨーク、韓国、フランス、中国など、様々な国々からお話をいただけるようになったそうです。

■映画「レッドクリフ」♪「レッドクリフのテーマ」♪
澄翔さんは2006年に独立し、その年に開催された書道展で蘇東坡の赤壁の譜をテーマに選んでグランプリを受賞。それ以後、三国志をテーマに作品制作をしているそうです。

書道をはじめたきっかけは?
小学2年生の時、友達がみんな習い事をしていて馬鹿にされて、家から一番近い教室が書道教室だったから。ずっと趣味で続けていて、いつか結婚して子供が生まれてから子育ての傍ら自宅で書道教室を開きたいと思ってはいたけど、本業にしようとは思っていなかったそうです。
大学卒業後はアパレル系の会社に就職。何も考えずに会社を決めてしまったので、入ってみて理想と現実のギャップにぶつかってしまい考えた末に退社、その後、リクルートに入社後「ケイコとマナブ」の編集に携わる中で、そこで知り合った書道家の方を見て、あらためて自分は書道が好きな事に気づき、もう一度、書道を学び直そうと決意してリクルートを退社したそうです。

■バックストリート・ボーイズ ♪「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」♪
澄翔さんが新卒で入社した当時に流行っていた曲で、仕事や恋愛で悩んでいた時に励まされた曲だそうです。

これからの夢や希望は?
「日本と世界各国の文化、書道の架け橋になれるような存在になれたらいいなぁ。」
日本文化の良さを世界に出て、改めて思い起こした。芸術は言葉が通じなくてもわかり合える事をとても感じた。

■ケリー・ノーブル ♪「夢がかなうまで」♪
澄翔さんが歌詞が大好きな曲。夢に向かってまだまだやりたいことが沢山ある人たちに送りたい曲。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉 “出会いに感謝”
澄翔さんは、ここまでくるまでに、様々な方に力になっていただいた。人と人とのご縁が大きなものを生み出すのかなって、最近、感じていらっしゃるそうです。
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by crossroadmidori | 2010-04-02 18:34 | 2010.04.02(矢部澄翔)