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森荷葉(和文化総合プロデューサー・エッセイスト)   

今週のゲストは、和文化総合プロデューサーでエッセイストの森荷葉さん。

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和文化総合プロデューサー?
和文化プロデューサーは、和の文化を現代のライフスタイルの中に、どのように伝えていくかを提案していくお仕事です。和と言っても凄く漠然としていますよね。
「一番多いのは着物ですね。それから和のマナー、作法ですね。その二つが一番多いところでしょうか。」
私の母は着付師なので、だから着物は小さい頃から近い存在だったのですが、着物を着ると動きが変わりますよね。
「そうなんです。とても美しい和の立ち振る舞いと言うのは、和のお稽古を基にして立ち振る舞いが出来ているんですね。ですから、着物を着たら、こんな動き方をするとか、着物を着たら、こんな座り方をすると言うことが前提で和の作法と言うのはつくられているのです。ですから、そのまま洋服に持って来ちゃうと、なかなか動きにくいものになってくるわけですね。ですから、そのまま持ってこずに、うまくコーディネートして洋の生活にも合うようにお伝えするのが私の仕事と言うことです。」
私が毎年笑ってしまうのが、成人式の方が初めて着物を着る時に前に足がでないんですよね。日頃から慣れ親しんでいないからだと思いますが。
「望月さんのように小さい頃から着物に親しんでいることは、そう多い訳ではないので、二十歳の時に初めてと言う方が多いですよね。そうすると、うまく歩きにくいと言うのは二つ理由がありましてね。ひとつは着付師が悪いんですね。うまく歩けるような着付けをしてあげなければいけないと。腰から下をきちっとして巻いてしまいますとね。当然歩けません。包帯を巻いているような状態になりますのでね。もうひとつは、着付けをし終わった後に、こうやったらお手洗いは楽にいけますよとか、こうやったら階段、ちゃんと上がれますよって、それを着付けをした人間がきちっと伝えてあげるのが、私は着付けの仕事だと思っているんです。」
いまの私たちの生活は洋でまわっていますよね。森さんは昔の和の作法を現代に活かしていくのか、伝えていくのかをお仕事にしていらっしゃいます。

■嵐♪トゥルース♪
和文化のプロデュースをされている森さんが選曲したので、ビックリだったのですが、
「皆さんね、和の仕事をしているって言うと必ず着物じゃないかとか、それからおしとやかな麗夫人じゃないのかとか、とんでもない話で、音楽って言うのは幅が広いと思うんですけども、その人の気が上がると言うかね。心が躍ると言うか、そう言うものにうまくめぐりあえれば、どなたでもいいと言う訳で。」

和文化に興味を持たれてお仕事にしたきっかけは?
「一人っ子で育ちまして、いろんなお稽古ごとをずっとして、そのまま家庭に入ってしまって、外で働いたことがないわけですね。それで30歳になりました時に自分の存在をアピール出来ると言うか、活かすと言うか、自分って何だろうって、皆さん悩む時期があると思うんですよ。そうすると、自分はいつも誰かに守られて生きてきた。小さい頃は両親だったり、その後はパートナーだったり、また両親から引きずったいろんな人脈に助けてもらったりと。なんか、それって違うんじゃないのかなぁって言うことで。普通はですね、そう思うだけで終わっちゃうんですけども、なんかやってみようかなぁなんて思って、今までのものを全部捨てるといいますかね。一度きれいにクリーンにして、それで新しいことにチャレンジしようと思って、和の世界に純粋に入っていく訳ですけれども、その時、私、就職しようと思ったんですね。全然、社会性がなかったものですから。履歴書の部分で全部ばつが出ちゃう。働いた経験がないでしょ。どこも取ってもらえないような状態で、じゃあなんかやろうかなと思ったら、私の中に何が残っていたかと言うと、いろんなお稽古ごとから重ねてきたいろんな人脈とか、陶芸だったり、染色の世界だったり、そういう中で、和に関わることだったら、なんとなく手を染めたことがあるので、それを主体にした何か仕事をしようと思って、最初は和のギャラリーから始めたんです。創作陶器とか、茶陶ですね。創作の着物とか。そのうちに、それを売るためには企画をしないとなかなか売れないんですよね。企画をしはじめて、当時まだめずらしかった雅楽を一般の人にご紹介しながら物を売っていく訳ですけど、皆さんが非常に満足してくれる。その中で何人かは私のところのギャラリーのお着物を買ってくださるとか、陶器を買ってくださるとか、販売に結びついていくわけですね。そのうちに企画の方が面白くなってしまって、雅楽なんて宮内庁でやっていることですから、誰もが普通は知っていると思っていたことが、実は誰もが知らないことだったので、これを噛み砕いてね。もっとわかりやすい道を私は開く企画をもっとしていこうと言う風に思った。」
このことが発展して今に至っているんですね。

■ライアン・シュアー ♪スピークロー♪
森さんの仕事が確立されたのが35から36歳くらい、その時に友人から「素敵な曲だから」と送られた曲。人がセレクトしたものを有り難くいただいて、うまく取り入れていく、素直にいただく気持ちに気づかせてくれた曲。「人と共に生きていくんだから人をもっと大事にしなきゃいけないなとか、人の心の中と言うか、情緒と言いますかね。そう言うものを、こちらがわかってあげて、いろんなことを進めていかないと物事は成功しないんだなぁって教えてくれた曲です。」

これからやりたいことは?
海外で日本のいまの和文化を紹介したい。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “ありがとう”
森さんのお母さまが亡くなった時に、お母さまの遺品を整理した時にいたるところに「ありがとう」と言う紙が貼られていた。その時、「ありがとう」がこんなにいい言葉だったと感じられた。
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by crossroadmidori | 2010-07-30 19:09 | 2010.07.30(森荷葉)

奥田透(銀座「小十」オーナーシェフ)   

今週のゲストは、「銀座小十」オーナーシェフの奥田透さん。2008年版からミシュランガイド東京で3年連続三ツ星をとられています。

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お店の雰囲気は?
「うちは、本当に小さなお店なんですね。カウンターが6席と4名様が入る個室が二つしかなくて、14人ですか、満席になっても。それだけしかないお店で、坪数にすると20坪。本当にこじんまりした感じのお店です。」

お料理の内容は?
「日本料理ですので季節の、四季の食材が一番大事でして、6月1日から世の中も衣替えじゃないですか、衣替えから夏の料理、夏の食材といいますとあゆが解禁になったりですとか、日本料理らしいものですとはもですとか、うちは天然のおっきなうなぎを出したりですとか、そういう、ちょっと特殊なものを使ったりですとか、いまはもう夏満載で、それを八品、九品ですか、ぐらいの料理構成で、懐石料理と言うとわかりやすいのかもしれませんけど、そんな感じでお出ししています。」
やっぱり、季節のものって言うと日本料理は、まさに得意分野ですものね。
「昔は、たぶん、季節とか旬とか言わなかったんじゃないかと思うんですね。その時穫れたものが当たり前であって、最近は便利になって、沢山の知恵があって、一年中同じような美味しさで食べれるものが多くなっちゃったじゃないですか。そういうものが日常に出まわるようになってから、あえて本当は、これが美味しいとか、本当は、この時期は、こういうものを食べるんだよっていうみたいな、季節とか旬とかの言葉が色濃くでているんじゃないかなぁと思っています。」
自然の摂理というか、旬のものは人の身体にもいいって言いますよね。

■ミスターチルドレン♪イノセントワールド♪
奥田さんは静岡で勉強をしていたのですが、もう一度、料理の勉強をやり直したいと考え23歳の時に料理の勉強をするために徳島のお店へ。給料はいらない、寝るところがあればいい、捨て身の気持ちで頼み込んでお店へ入れていただいたそうです。部屋にはテレビもなく、そんな時に携帯のCDプレイヤーを購入し、聞いた想い入れのある曲です。

料理を目指すきっかけは?
もともとは小学校の先生になりたかった。高校に入って受験勉強をしていたのですが、
「夏休みを過ぎたくらいから、まったく勉強わかんなくなっちゃったんですよね。聞いてもわからないわけですよ。まずいなぁと思って、中学時代の友達に細かく教えてもらうんですけど、だんだん理解出来なくなったんですよね。わかりやすく、落ちこぼれたわけですよ。落ちこぼれるってこういうことなんだぁみたいな。当時、世の中はバブルの後半でして、いい大学、いい就職。これが成功の証みたいな風潮が凄く強かった時なんですが、僕は勉強が出来なかったわけですから、普通に考えると僕は大学に進学出来ないわけじゃないですか。そうしますと、もしかしたら隣のみんなに将来使われるんじゃないかと思ったんですよ。世の中は、こういう構図になっているかと思うと、凄く男として悔しくて、悔しくて。野球は一生懸命やっていたんですが、身長はいま170cm、どこか限界があるじゃないですか。みんながみんなプロ野球の選手になれるわけでもサッカー選手になれるわけでもなくて、おんなじように努力しても、どこか限界はあるんだなぁと思うと、そういう持って生まれた身体能力、まったくこれに関係のない仕事に就いて、その道で、逆に言うと、勉強で極めた人。スポーツで極めた人。お金持ちとか家柄が良くて世の中登っていった人と最終的に対等に話が出来る人間になりたいとなぁと思った。なぜなら人としては劣っていると思っていなかったから。最初は学歴社会への反発でした。」
実際にはどういう行動に移られたかと言うと、
「親戚が魚屋さんですとか、そういった仕事にもたずさわっていて、料理を、男性が包丁を握っている姿が、もの凄くカッコ良く見えたりしまして、知り合いから料理屋さんに修行に行かなくてはならなくて、料理屋さんを紹介していただいて、そこからがスタートですね。」
徳島へ修行へ行かれたのも誰よりも極めたい気持ち、もっともっと、次の世界があるんじゃないかと思われたからです。
10年の勉強を経て静岡へ戻ってお店を構えたのは、駿河料理のタイトルで料理をつくりたかったから。
「静岡は本当にいい食材がありあまっているほどありまして、それが意外と知れ渡ってないんじゃないかなぁみたいな。市場でアルバイトしていることもあったんですけど、目の前に見える魚とかが、こんなにいいものがあるのに、なんでうまく表現出来ないんだろうみたいな。自分の中でも自問自答があったんですね。極端なことを言うとオール静岡のもの。野菜、果物、すべて。と言うことをタイトルにして料理が出来ないかなぁと思って静岡に帰って来て商売を考えたわけですね。」
その矢先にバブルが崩壊、これまでにない不景気が訪れます。それでもお店を開こうと思い物件を探したのですが、見つけた物件にケチがつき契約が流れてしまいました。
それから3ヶ月の無職が続き、食べるものにも困った状況となってしまい奥田さんがとった行動は?
「そうなったら僕は料理が出来るわけだから、もう考え方を変えて、近所の方から、同級生から、会社帰りのお勤めをしている方から、みんな寄れるような、気楽でいながら美味しいお店が出来ないかなぁと、これもひとつの道ではないかなぁと思ってやったのが両替町の花見小路という店なんですね。」

■森山直太朗 ♪さくら♪
ミシュランの三ツ星をとってから、中学の講演をお願いされた時に、奥田さんのために歌ってくれた想い出深い曲。

銀座出店のきっかけは?
花見小路も順調だったのですが、何かやり残しているのではないか、10年後に後悔したくないと思い、一番人が集まって評価も厳しい東京で、一番の勝負をかけたいと考えたそうです。

これからやりたいことは?
大橋さんと同じ歳で、大好きなアーティスト。憧れであり、目標。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “一生懸命”
なんでも自分の能力を最大限に引き出す。一生懸命やって、これ以上ないとこまでやったら、なによりも自分が納得できる。
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by crossroadmidori | 2010-07-23 18:31 | 2010.07.23(奥田透)

横山真起子(女子大生・看護士・宅地建物取引主任者)   

今週のゲストの横山真起子さんは東京都内の歯学部の女子大生。その他に授業が終わってから看護士をアルバイトでやられていて、宅地建物取引主任者の免許も持っていられて、ご自宅の不動産業も手伝っている超多忙な女子大生です。

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どうして、そんなに忙しいの?
目指しているのは歯医者さん。今は女子大生で部活は写真部。料理教室で料理を習い、看護士免許は大学に入る前に大阪で取られて、編入試験で歯学部へ。宅建免許は22歳の時に取られています。
忙しくて、遊ぶ暇もなく、家のテレビのコンセントは抜きっぱなしの生活。

でも、なぜ? そんな生活なの?
「やっていたら、そうなって、やつぱり家業が不動産なので、あとはやっぱり看護士も歯科も医療ということは同じなので、自分の中では家のことをしてたり、あとは自分のやりたいことをしてたり、あとは料理とか趣味のことをしてたり、という風になっているんですけど。」

大学生だったら一番遊べる時期なのでは?
「自分で、やっぱり、いろんなことをしてから今の大学に入ったので、やっぱり学費を稼がないといけないというのがありまして、そのことがいつも頭にあるので、遊んでいる時ももちろんあります。飲みに行くのも大好きですし。でもやっぱり、バイトとか、あとは勉強のことは、いつもその前に頭にあります。」

■GReeeeN   ♪ キセキ ♪
GReeeeNも歯学部で、歌手活動の中で、いまは免許を取られている。自分も学校の勉強だけじゃなくて、自分の出来ること、いろんな活動をしていきたい。

横山さんのルーツ?
横山さんの実家は大阪。姉ひとりと双子の姉の三姉妹。高校3年生の頃からモデルのアルバイトをされていました。高校生の時からボランティアで看護士さんに接する機会があり、お世話になったこと、自分の性格的におせっかいだからあっているのではと思い看護学校へ行き看護士の資格を取りました。看護士の勉強をしている中で、医学の勉強が楽しくなってしまって、歯学部に編入しました。
その時の気持ちを横山さんは
「自分は法律は全然むいてないけれども、医学の勉強は凄く自分にとって楽しかったんですね。看護士って、本当に患者さんに一番近いですし、やりがいもある仕事ですけれども、いくら頑張っても自分の手で診断をくだして治療をすることは絶対に出来ないんです。」
「実習に出ると女医さんがかっこよく働いてるんですね。やっぱり、そう言うのを見て、結婚が遅れるかもしれないなぁとか、いろんな不安はもちろんあったんですが、わかっていたんですけど、結婚は後からでも出来るけど、勉強はいましか出来ない。」
その思いを持って、看護士で働きながら試験勉強をし歯学部へ編入されました。

夏川りみ♪涙そうそう♪
家族だったり友達だったり、大切な人たちと分かれて、大阪から独りで東京の大学に来た。
横山さんの心情にオーバーラップする曲です。

その原動力は?
「女性が独りで生きていくのは、とても今の時代も私は大変なことじゃないかなぁって思うんです。資格があると、いつやめてもまた復帰出来るし強いと思うんですね。それが自分の興味のある大好きな分野だったら、とてもそれは豊かな生活だと思います。」

これからの夢は?
「勉強や人との出会いを大切にして、看護士をしていたので歯科医になったら、全身管理だとか、なによりも人との接すること、コミュニケーションを大事に歯科医としてやって行きたいと思います。」
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by crossroadmidori | 2010-07-16 18:12 | 2010.07.16(横山真起子)

諏訪綾子(フードアーティスト)   

今週のゲストは、フードアーティストの諏訪綾子さん。フードアーティストは聞き慣れない言葉ですが、どんなお仕事なのでしょう?

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フードアーティストって、どんなお仕事?
諏訪さんの会社のキャッチフレーズは「そのコンセプト、胃まで届けます。」
お客様のメッセージをパーティやイベント、演劇の舞台だったり、いろんな状況やシチュエーションに合わせたお料理をつくってお出しして、お客様に食べていただくことで五感を通して主催者のコンセプトやメッセージを伝えるお仕事です。
五感を通してとは? 諏訪さんにお尋ねすると、
「食べ物自体だけでもそうなんですけども、まず食べ物を見た時に目で味あうことが出来ますよね。その後、触った時の触感だったり、近づけた時の匂いだったり、口に入った時の食感だったり、温度だったり、湿度だったり、もちろん味もそうだし、のどごし、それから身体に入っていく感覚、すべてで味あうっていう意味で五感以上の感覚を総動員して味あうということもありますし、あとはじゃあ、その食べ物を、どういう、例えば、お皿にのっているかとか、誰かが運んでくるのだったら、どういう人が運んで来て、何て言って運んで来るか、そこではどういう音楽がかかっていて、どういう照明なのかとか、もちろん、その場の温度とか、もうきりがないんですけども、食べるシチュエーション自体も演出することによって、同じ食べ物を味あうにしても味が全然違ってきますよね。そう言う意味で、食べ物はもちろんなんですけど、食べるシチュエーションや状況も味ってとらえて表現しています。」
その場の全てを諏訪さんがコーディネートされています。
2年前に行われたエキシビジョンをひとつ紹介させていただくと
美術館の展示室の中に突然レストランがあらわれる状況をつくり出されています。
普通、美術館の展示室の中で食べることはないと思いますが、実際に食べて味わうことで体感する表現として発表されました。

■Tuck & Patti   ♪ High Heel Blues ♪
諏訪さんお気に入りの曲。アカペラなのに、ひとりで歌っているのに、想像をかきたてられるので、プライベートで良く聞く曲だそうです。

諏訪さんにとっての食とは?
「大きく言うと食べ物って私たちが朝・昼・晩に食べるような食事としての栄養源だったり、エネルギー源としての食っていうのがあったりとか、レストランとかで食べるような美食とかグルメって言われているような食があると思うんですけど、私が突き詰めたいと思っているのは、そう言う物も認めた上で、もっと感覚的な部分って食にはあるんじゃないかなぁって思います。お腹が満たされるって言う以外に気持ちが満たされるってとかっていう言い方があるじゃないですか。そういう感じで、もっと感覚的な食の部分を追求して、新しい食の価値としてつくりたいなぁって思ってやっているんですね。ですので、ずっとここ2年くらいつくっているシリーズで「感覚で味わう感情のテースト」って言うシリーズがあるんですけど、喜怒哀楽、喜びや嬉しさ、哀しさや切なさなどの感情を、食べ物を通して表現し、食べること、あじわうことで、それらの感情を体感するというものです。」
これって、食べてみないとわからないですよね。私もぜひ参加してみたいですね。

この仕事をやることになったきっかけは?
諏訪さんは最初から飲食の仕事にたずさわっていたわけではありません。大学も美大で広告やデザインの勉強をされています。その時に、CMやポスターを通して、コンセプトやテーマを人に伝えるかを勉強したことが今の仕事に影響をしてはいるようです。
小さい頃はおままごとが好きで、日が暮れるまで、石や土、葉っぱや花びらを使って料理をつくるまねごとをしていたようです。普通はおままごとは小学校低学年くらいまでだと思うのですが、諏訪さんは中学校に入るくらいまでやられていたようで、新しいメニューを考えて、次の日にレストランを開いて友達に振る舞っていました。
「今、思うと、今と変わらないなあ」って、諏訪さんは笑いながらおっしゃってました。

Riki Gal ♪Come On My House♪
食べ物で家においでよと可愛く誘惑している歌詞が諏訪さんは好きだそうです。

自分のやりたい仕事が世の中のメニューになかった?
大学を卒業してから自分のやりたい仕事のジャンルが世の中になかったので、興味があることや近いと思えることをアルバイトで沢山やってみたそうです。
その中で、これだと思えるような仕事に出会えました。
友人のパーティでパティシエを探してて、諏訪さんがやらせてもらった。そのことが友人たちの間で好評になり、いろんなところでやるようになって、現在にいたっています。
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by crossroadmidori | 2010-07-09 18:48 | 2010.07.09(諏訪綾子)

大橋純子(歌手)   

今週のゲストは、私が大ファンで、リクエストにお応えいただきご出演いただいた大橋純子さんです。

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現在の活動は?
大橋純子さんの主な活動はライブ。7月は、ここ数年、ジャズクラブのライブツアーを大阪、名古屋、東京でやられています。お客様はお食事をしながらリラックスして聞いていただけるので会場の雰囲気もよくやりやすいそうです。
ジャズクジャズクラブのライブは限られたスペースですから会場の雰囲気を感じられ、お客様の顔も半分くらいは見えて掛け合いもあったり、お客様との距離も近い中でのライブ。
まさに生の迫力が感じられるライブステージですね。

初めての邦楽カバーCD「テラ」
3年前にはじめて邦楽のカバーにトライをされて出されたCDが「テラ」。やってみたら面白かったから昨年には「テラ2」を出されています。
私はアレンジが、どの曲もとっても素敵だと思っていて、大橋さんの歌声に凄くマッチしていると思ってお聞きしたら、「実をいいますと、そこがポイントなんですよ。凄くこだわっていますの。そこには。」。選曲については、ある歌ってみないとわからないこともあり、カラオケBOXにスタッフと一緒に行って十数曲を歌って決めたそうです。

■大橋純子 ♪ あの日に帰りたい♪
テラ2の中から荒井由実のカバー曲。

音楽の世界に入ったきっかけは?
子供の頃から歌が好きだった大橋さん。その頃の事を大橋さんは「私は北海道は夕張市の生まれ育ちなもんですから、はっきり言って田舎です。田舎の町で歌を歌う場所と言えば、私の時代ですから学校で音楽の時間、あとは学園祭って言うか文化祭ですかね? 学芸会? 小学校の頃だと。学芸会の頃からいうと合唱団ですかね。そういうところに入って歌うしかなかったんですが、とにかく、たぶんね。人前で歌うのが好きだった。おまけに家は実家が食堂だったんですよ。それで、凄く子供の頃からませてたらしく、どうもお客さんの前でテーブルに上がって、美空ひばりさんの歌とか、いわゆる流行歌をですね。披露して10円もらっていたそうです。」
高校卒業までは夕張にいて、短大入学を機に札幌へ。そこで北大の軽音楽クラブに入って、憧れのバンド活動を開始。短大卒業後はアナウンサーを目指したのですが、就職試験で地元の放送局に落ちてしまいます。途方に暮れて考えたのが自分は歌が好きだってこと。歌を歌うことしか出来ないってこと。それから親の反対を押し切って上京しヤマハの財団でアルバイトをしながらバンド活動を続け、知り合いから紹介をされレコード会社のオーディションを受けて合格されました。

■SERGIO MENDEZ AND BRAZIL 66 ♪MAIS QUE NADA♪
この曲を聞くと中学校、高校生の頃の冬の夕張の町並みを思い出すそうです。

歌手生活36周年
歌手生活36年の人生を振り返って大橋さんは「私は出会い、非常に人との出会いで、私は運良く来て、運とつきだけでここまで来たなあって感じなんです。私の人生。一口でいいますと。」
大橋純子さんの曲って、歌って変わってきたと思いますか? の問いに大橋さんは「ヒット曲って言うのは、それぞれどの歌手の方も想い入れと同時に必ずここにはドラマがありましてね。私もたそがれマイラブなどは、最初、企画ではじまったもんですから、実は最初は歌いたくなかった。」。大橋さんは「シンプルラブ」でバンドを背負って活動を始めた。大橋さんにとっては理想的な活動をはじめたとこだった。その1年後に歌謡曲色の強い「たそがれマイラブ」の話が持ち上がり、歌謡曲のイメージを着けたくなかった。ところが皮肉にも出してみるとデビュー以来の大ヒット。大橋さんは「いま考えてみますと、そういうヒット曲の数々が私の宝となって36年目に入ったわけですから、やっぱり私にとっては、なんだかんだ言っても運がいいんだと思います。」。とおっしゃっていますが、私はすべて意味があったものだったのではと思います。

■Stevie Wonder ♪You Are The Sunshine Of My Life♪
大橋さんと同じ歳で、大好きなアーティスト。憧れであり、目標。


☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “ネバーギブアップ”
歌い続けて一生を終えたい。いつまでも現役を続けたい。
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by crossroadmidori | 2010-07-02 18:47 | 2010.07.02(大橋純子)