吉田千枝(主婦)   

今週は、いつもと少しだけ趣向を変えて番組をお送りしました。
ゲストは千葉県船橋市の主婦、吉田千枝さんです。

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主婦の方がなぜ?
吉田さんは今年の4月に「迷い犬ミルコ 598日の記録」と言う本を出版されました。吉田さんはボランティアで犬や猫の保護活動をされています。この「迷い犬ミルコ」もその中の一匹。クルマが頻繁に行き交う道路を足から血を流しながら歩いていたミルコを見つけて、吉田さんのお家で面倒を見ながら里親を探していました。3ヶ月たって里親も見つかり幸せに暮らしていたはずが、1年もたたないうちにいなくなってしまいました。
本来は里親さんが中心になって探していただくのですが、里親さんが体調を壊していたこともあり、吉田さんが中心になって探すことに。
ここから「迷い犬ミルコ 598日の記録」の物語が始まりました。

■EXILE ♪One love♪
EXILEは吉田さんのお気に入りのアーティスト。「出会いの数だけ笑顔が生まれ、笑顔の数だけしあわせになる」 吉田さんの大好きなフレーズです。

ミルコを探す598日。
吉田さんがミルコをどんな風に探されたかと言うと、
まず最初に過去に犬を探されていた方に何をすればいいか聞かれたそうです。それからボランティアの皆さんの協力を得ながらポスターやチラシをつくって貼ったり配ったりしました。またリアルタイムで情報交換が出来ることもありインターネットでブログも開設されました。ブログの中身は主に入って来た情報の公開です。
当初、沢山の情報が集まってきました。その情報の真偽の確認をするだけでも大変な作業ですよね。休日はボランティアのみなさん、平日はご主人の協力を得ながら探していました。
吉田さんも、ミルコがどこかで保護をされていて、ポスターでも貼ればすぐに見つかるだろうと思っていて、まさか、こんなに長くなるとは思っていなかったそうです。
ミルコが見つかってからわかったことですが、吉田さんたちが一生懸命探している時には、すでにミルコは保護されていました。

■Def Tech ♪My Way♪
ミルコがいなくなったのが千葉県市原市。船橋市からクルマで高速道路を使っても1時間はかかる距離です。ご主人と二人で仕事が終わった後に高速道路で市原市へクルマでミルコを探しに向かう時、うとうとしないようにかけていた曲。

ミルコが見つかった!
ミルコが見つかったのは千葉県市川市。動物病院に貼っていただいていたポスターがきっかけになりました。いままでも何度も違う犬だったので、今回も違う犬なのかなって思いながらミルコの元へ向かいました。吉田さんは違っていた犬も引き取ってお世話をしているそうです。
ミルコは保護されていたご家庭で大切に育てられていて、いまも、そのご家庭で暮らしています。

出版のきっかけは?
ミルコが保護されていたご家庭のお母さんが、吉田さんが捜索時に書いていたブログを見られて感動したからと、自主出版していただきました。犬や猫が捨てられることについて吉田さんは「いまだに沢山いるんですけど、やめさせるにはどうすればいいのかって考えても自分でも考えが浮かばず、自分の小さい頃を考えたら、小さい頃から一緒に犬や猫と過ごしていて大切に出来たので、今の子供たちにも、なんかこう、命とふれあう機会をつくって、将来大人になっても大切にしてくれたら、いつかは減っていくのかなって」。吉田さんは、これからも一匹でも多く幸せになれるように身寄りのない犬や猫を保護していくそうです。
命を大切にすることって、人間にかかわらず動物でも植物でも自然でも・・・全部ですものね。
今回は、とっても心温まるお話をお聞きしました。
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# by crossroadmidori | 2010-06-11 18:12 | 2010.06.11(吉田千枝)

田中奈津子(ブルーノート東京 ホールチーフ・ソムリエ)   

今週のゲストは、ブルーノート東京でホールチーフとソムリエをされている田中奈津子さんをお迎えしました。収録前からとても緊張されていました。

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ブルーノート東京って?
ブルーノート東京は東京の青山にあるジャズクラブ。海外からトップアーティストをお迎えして、素敵なお食事をしながら毎晩白熱したライブが楽しめます。私も何度か行く機会があったのですが、逃していて残念です。
私の印象だとソムリエは男性が多いって思っていたのですが、日本にいるソムリエは10000人で、その半数が女性だそうです。

■マイケルブレッカー ♪Don't Let me be lonry tonight♪
サックス奏者。いまは亡くなられましたがブルーノート東京には毎年のように来ていただいていました。ボーカルはジェームス・テイラー。田中さんが聞くと明日も頑張ろうと思える曲。

この世界に入るきっかけは?
田中さんは以前はOLをされていて、ブルーノート東京にお客様として来店された時に、店内の様子を見て、「働くとライブが毎日聞けて、お金までもらえて、仕事も楽そうだと。これは働くに限るなと。」と思った。最初はOLの仕事を終えたあとにアルバイト。ところが1年目は調理場で皿洗いの毎日。ライブを聴くことは出来なかったそうです。入ってみて、外からは楽に見えていたスタッフの仕事の大変さも実感されたようです。やっぱり、楽な仕事なんてないですよね。
1年くらい皿洗いの経験を経てホールへ。OLを続けながら7年間アルバイトを続けながらブルーノート東京の仕事にはまっていったそうです。

■荒井由実 ♪ 瞳を閉じて ♪
田中さんが音楽にはまっていったきっかけがユーミンです。

ブルーノート東京の日々
「ハプニングの連続と言えば、ハプニングの連続で、毎日、会場のドアを開けるとともに、今日、何が起こるかわからないていう、そのワクワク感」 。田中さんが長くブルーノート東京に勤めてこれた理由のひとつ。
「エリック・クラプトンがお客様として遊びにみえたら、ライブにのってしまって飛び入りしてしまうとか。」、「トップアーティストまでもが、いちお客さんとなって楽しめるクラブ。」。それがブルーノート東京だそうです。それこそ、ライブの醍醐味ですよね。

■ハンク・ジョーンズ ♪ In A Sentimental Mood ♪
先日91歳で亡くなられたハンク・ジョーンズさん。今年の2月にブルーノート東京に出演された時にアンコールで演奏された曲です。
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# by crossroadmidori | 2010-06-04 18:44 | 2010.06.04(田中奈津子)

アグネス・チャン(歌手)   

今週のゲストは、デビュー当時から大ファンだったアグネスさんです。結構緊張しました。

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現在の活動は?
3月16日に32年ぶりの武道館コンサートをおこなったアグネスさん。8000人が集った平和コンサート。「楽しかった。感動した。」、「有意義だったなぁ。いい時間でした。」、アグネスさんの言葉が印象的でした。
コンサートツアーの他にも講演会やテレビ・ラジオ、ボランティア活動。日本対がん協会のほほえみ大使、日本ユニセフ協会の大使は1998年から13年間も続けていらっしゃいます。
それ以外にも4月にはオークランド・インターナショナルカレッジの学園長にもなられています。「アジアの子供たちを世界的なリーダーに。」その夢を持っている方々の気持ちに賛同し、感銘を受けて、同校を視察、アジア・ヨーロッパの多国籍な教師陣や学生が楽しそうに勉強している姿を見て学園長就任を快諾したそうです。

■アグネス・チャン ♪あなたの忘れ物♪
アグネスさんが作詞・作曲をされている最新曲です。久しぶりのラブソングです。

いろいろな顔をお持ちで多忙なアグネスさん。その原点は?
歌手であり、ユニセフの活動や学園長、おかあさんでもあるアグネスさん。「ちっちゃい時は暗い子だった。」。以外な言葉でした。二人の優秀なおねいさんたちに比べられて、自信もなく極端な照れ屋で人見知りだった。でも中学校の時にボランティア活動に参加して、いろんな子供たちとふれあっていくうちに明るくなっていった。「私も照れて、子供も照れていると何も始まらない。私も暗くて、子供たちも静かだと何も始まらない。」。その事に気づいたから明るくなれたそうです。いろいろな問題を抱えて大変な子供たちが凄く頑張っていた。考えてみたら自分は凄く恵まれていたことに気づいた。子供たちのために食べ物を集めたくて、学校のお昼休みに歌を歌っていたら香港で話題になってスカウトされた。
アグネスさんの原点はボランティア活動だったんですね。
軽い気持ちで歌ったらヒットして、気がつくと歌手になっていた。アグネスさんにとっては、ある日突然の出来事だったようです。

日本に来ることになったきっかけは?
上のおねいさんが女優だったのですが、日本でも映画が上映されたりレコードが販売されていて、平尾正明さんとも縁があり、平尾さんが香港を訪れた時にアグネスさんのテレビ番組に出演、スカウトされて日本でデビューされました。

■ジョニィ・ミッチェル ♪ サークル・ゲーム ♪
アグネスさんの香港でのデビュー曲です。

日本デビュー、そして活動?
ひなげしの花で日本デビューをされて、数々のヒットを出されたアグネスさんですが、家族と離れて、最初は言葉も通じない日本でホームシックになったけど、歌があったから支えられた。ステージに立って歌を歌っている時が一番素直な自分でいられた。その後、おとうさまの勧めもあって芸能活動は休止しカナダの大学へ留学。留学中におとうさまが亡くなられて、おかあさまを助けたいと思い日本にカンバックされました。その後は芸能活動をしながらボランティア活動。「歌っていうのは海を越えて、国境を越えて、人間のこだわりを越えて、心を結ぶことができるんだなぁ」。そのことに気づいたことで、歌で平和をと言う気持ちを決めて、1985年にエチオピアへ行った事が人生を変えたようです。
その年、エチオピアは干ばつと内戦で100万単位の人々が飢えて死んでいきました。
「目の前で沢山子供がなくなりました。人々はほんとに骨と皮しかないみたいなカタチで。ほんとに同じ世の中に、こうゆうような状況が起きているのか。これ繰り返されたら困るって、ほんとに本気で思えるようになって、それから本格的にボランティア活動を始めたんです。」。アグネスさんは、それからは出来るだけ、アフリカやアジアを中心にいろんな場所へ行ってボランティア活動に参加しています。1998年に日本ユニセフ協会の大使に就任し、毎年、必ず一回は訪ねていらっしゃる。
エチオピアへ行った時は現状を知りたいと言う気持ち。いまは「子供たちを助けたい。」。そして現状を見て「帰ってきて、みんなに報告して、みんなに理解してもらって、そうすると援助する力も大きくなるのかな」って思われています。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “毎日が誕生日”
2007年に乳がんの手術を受けたアグネスさん。それからは毎日がありがたくて、感謝をしているそうです。
朝、起きたら「Happy birthday too me」。今日が生まれた日だと思って精一杯生きる。
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# by crossroadmidori | 2010-05-28 18:35 | 2010.05.28(アグネス・チャン)

伊藤純子(フリーマガジン womo編集長)   

今週のゲストは、フリーマガジンwomo編集長の伊藤純子さん。静岡で働いている方はゲストとして初めてです。

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womo編集長って、どんなお仕事?
伊藤さんはwomoにかかわるようになってまる3年。編集長の仕事もいろいろあって、毎回、特集があるのですが、かなり前からスタッフと打合せをしながら決めていく。特集を、どうゆうカタチでつくっていくのか、みんなで相談しながらカタチにしていく。役割分担を決めたりスケジュールをつくったりディレクターのようなお仕事。他にも雑誌のコンセプトにそった表現のチェックもするそうです。

お仕事は楽しい?
時間に追われている感じのある仕事ですが、静岡や浜松の読者から「今月号は面白かったよ」とか、ハガキやメールをいただくのは凄く嬉しい。街で読者の意見など直接聞ける時、「womo大好きです」って言っていただける読者も沢山いるので、そういう人たちと会って、声を聞いたり表情見たりする時が一番幸せな時、日頃の苦労が吹き飛ぶ時だそうです。

■Crystal Kay ♪恋に落ちたら♪
都内の広告代理店で働いていた時、徹夜も多く今よりも激務だった頃に、この曲を聞いて、頑張ろう!って励まされた曲だそうです。

静岡に来たきっかけは?
伊藤さんの生まれは秋田県の大館。都内の大学に進学して代理店に就職、広告代理店の5年間は企画を考える仕事。結婚することになり、ご主人が静岡の方だったので、静岡へ住むことになったそうです。誰も友達や知り合いもいない場所だったので、仕事をした方がいろんな知り合いも出来る、新しい何かが開けると思い転職活動をしていた時に「しずおかオンライン」の社長とお会いする機会があり入社することになったそうです。
最初の1年目は旅行ガイドの編集をさせていただき2年目からwomo編集長をまかせられたそうです。

編集長の想い。
同じ女性として、womo読者の女性たちに情報を提供することで、悩んでいることがあれば解決しくれたら嬉しい、もっと楽しんで静岡や浜松の毎日を過ごしていただければ嬉しい。その思いだけで編集長をやられているそうです。

■DREAMS COME TRUE ♪ うれしはずかし朝帰り ♪
伊藤さんはドリーム・カム・トゥルーが大好き。バンドを組まれていたこともあるそうです。

これからの夢や希望は?
静岡や浜松の女性と、もっと間近にふれあえるような企画をやっていきたい。例えば、静岡の働く女性のために仕事のスキルアップや刺激になるようなイベントが出来ればと考えているそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “思い立ったが吉日”
伊藤さんは思いついたら即行動したくなるタイプ。思いついたら変だったりおかしなことじゃなければまずはやってみたいそうです。
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# by crossroadmidori | 2010-05-21 18:44 | 2010.05.21(伊藤純子)

佐々木秀実(シャンソン歌手)   

今週は朝の番組でもおなじみのシャンソン歌手、佐々木秀実さんをお迎えしました。
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シャンソンはフランスの歌謡曲?
シャンソンに馴染みのない方も多いかと思いますが、フランスの歌謡曲のことをさしてシャンソンと言うそうです。日本のみなさんには堅い、上品な音楽のイメージがあるかと思いますが、秀実さんにとってシャンソンとは「言葉が伝わる音楽」、歌詞を伝えることがなによりもしたいと思っていらっしゃるそうです。
実は私はシャンソンが大好きなんです。シャンソンは舞台を観るような感じ。その光景が見えてくるようです。
秀実さんのライブ活動の場は大きなコンサートホールであったり、小さなライブハウスであったり、大きなライブハウスでは表現出来ないような曲もあるので、どちらも大切な場所だそうです。
ライブでは同じ曲であっても毎回違った歌になる。それがライブの醍醐味だそうです。

■佐々木秀実 ♪夢物語♪
佐々木秀実さんの新曲。日本のオリジナルのシャンソンが出したいと思いストーリーを描いて、秀実さんが作詞もされた曲です。

シャンソン歌手になるきっかけは?
ご実家が料亭だった関係もあって、最初はどどいつとか端唄とか小唄などの邦楽だったそうです。中学校2年生の時に声帯のそばに腫瘍ができてしまい、もしかすると声が出なくなるかもしれない手術を4回もされたそうです。歌を歌うことしか考えてこなかった子供が声を無くしてしまうことが凄く辛かったそうです。秀実さんは1年近く学校と病院が一緒になっている施設にいたのですが、末期がんであったり、小児ぜんそくであったり、さっきまで一緒に勉強していた友達が、ちょっと苦しいからって帰って来ないことも。子供心にもショックだったし、生と死について凄く感じていた。声がでなくなるかもしれない最後の手術の前日の夜にお母様がシャンソンの女王「エディット・ピアフ」のCDと自叙伝を持って来てくれた。秀実さんが歌を歌って生きていきたいと誰よりも知っていたのはお母様。お母様は秀実さんに「エディット・ピアフ」の波瀾万丈の人生、どんなに辛いことがあっても生きてきた、歌ってきた「エディット・ピアフ」の人生を与えようとしたと思ったそうです。

■エディット・ピアフ ♪ 愛の讃歌♪
秀実さんのお母様が手術の前日の夜に持って来てくれたCD。シャンソンをはじめるきっかけとなった曲です。

シャンソンに目覚めた?
もし、声が治ったら「愛の讃歌」みたいな歌が歌いたい。シャンソンが歌いたい。治った後に東京で仕事として歌謡曲を、でもどうしてもシャンソンを勉強したいと思い半年程度ですがフランスへ。でもシャンソンは教えるものではないと言うことでフランス歌曲・クラッシックを教える学校に通いながら、ジャズ、クラッシック、演劇、毎日、なにかしら見に行った。でもコンサートでは観光化されていて本来のシャンソンはやっていなかった。シャンソンが生き残っていたのはパリの街の中だった。街の片隅のアコーディオン弾きであったり、雑踏の中でアカペラで歌っていたり。フランスに行っている間にシャンソンをフランス語で歌って行くか悩んでいる時期があったけど、海外で生活すると日本人であることを意識した。シャンソンを日本人として日本の言葉で歌いたいと思って、いまは9割以上は日本語でシャンソンを歌っているそうです。

日本では独特なジャンルだと思われているシャンソン。聞くととても面白いジャンル。まずは知ってもらいたい。
だからいろんなところで歌ったりしゃべったりすることが大切だと感じて、いろんな活動を続けているそうです。

将来の夢は?
まだ、シャンソンを知らない人たちにシャンソンに届けたい。生ものの歌を裏切らずに歌っていきたい。秀実さんが「エディット・ピアフ」の歌を聴いて、人生が変わったように、感動を与えられる歌を歌って行きたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “慈愛”
秀実さんの祖母が残してくれた言葉。世の中は便利になっていても悲しいニュースが多く、殺伐とした時代。だからこそ、人の心を思いやったり、やさしさだったり、心配したり、愛したり、そんな事が大切に思える。
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# by crossroadmidori | 2010-05-14 18:38 | 2010.05.14(佐々木秀実)