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佐々木秀実(シャンソン歌手)   

今週は朝の番組でもおなじみのシャンソン歌手、佐々木秀実さんをお迎えしました。
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シャンソンはフランスの歌謡曲?
シャンソンに馴染みのない方も多いかと思いますが、フランスの歌謡曲のことをさしてシャンソンと言うそうです。日本のみなさんには堅い、上品な音楽のイメージがあるかと思いますが、秀実さんにとってシャンソンとは「言葉が伝わる音楽」、歌詞を伝えることがなによりもしたいと思っていらっしゃるそうです。
実は私はシャンソンが大好きなんです。シャンソンは舞台を観るような感じ。その光景が見えてくるようです。
秀実さんのライブ活動の場は大きなコンサートホールであったり、小さなライブハウスであったり、大きなライブハウスでは表現出来ないような曲もあるので、どちらも大切な場所だそうです。
ライブでは同じ曲であっても毎回違った歌になる。それがライブの醍醐味だそうです。

■佐々木秀実 ♪夢物語♪
佐々木秀実さんの新曲。日本のオリジナルのシャンソンが出したいと思いストーリーを描いて、秀実さんが作詞もされた曲です。

シャンソン歌手になるきっかけは?
ご実家が料亭だった関係もあって、最初はどどいつとか端唄とか小唄などの邦楽だったそうです。中学校2年生の時に声帯のそばに腫瘍ができてしまい、もしかすると声が出なくなるかもしれない手術を4回もされたそうです。歌を歌うことしか考えてこなかった子供が声を無くしてしまうことが凄く辛かったそうです。秀実さんは1年近く学校と病院が一緒になっている施設にいたのですが、末期がんであったり、小児ぜんそくであったり、さっきまで一緒に勉強していた友達が、ちょっと苦しいからって帰って来ないことも。子供心にもショックだったし、生と死について凄く感じていた。声がでなくなるかもしれない最後の手術の前日の夜にお母様がシャンソンの女王「エディット・ピアフ」のCDと自叙伝を持って来てくれた。秀実さんが歌を歌って生きていきたいと誰よりも知っていたのはお母様。お母様は秀実さんに「エディット・ピアフ」の波瀾万丈の人生、どんなに辛いことがあっても生きてきた、歌ってきた「エディット・ピアフ」の人生を与えようとしたと思ったそうです。

■エディット・ピアフ ♪ 愛の讃歌♪
秀実さんのお母様が手術の前日の夜に持って来てくれたCD。シャンソンをはじめるきっかけとなった曲です。

シャンソンに目覚めた?
もし、声が治ったら「愛の讃歌」みたいな歌が歌いたい。シャンソンが歌いたい。治った後に東京で仕事として歌謡曲を、でもどうしてもシャンソンを勉強したいと思い半年程度ですがフランスへ。でもシャンソンは教えるものではないと言うことでフランス歌曲・クラッシックを教える学校に通いながら、ジャズ、クラッシック、演劇、毎日、なにかしら見に行った。でもコンサートでは観光化されていて本来のシャンソンはやっていなかった。シャンソンが生き残っていたのはパリの街の中だった。街の片隅のアコーディオン弾きであったり、雑踏の中でアカペラで歌っていたり。フランスに行っている間にシャンソンをフランス語で歌って行くか悩んでいる時期があったけど、海外で生活すると日本人であることを意識した。シャンソンを日本人として日本の言葉で歌いたいと思って、いまは9割以上は日本語でシャンソンを歌っているそうです。

日本では独特なジャンルだと思われているシャンソン。聞くととても面白いジャンル。まずは知ってもらいたい。
だからいろんなところで歌ったりしゃべったりすることが大切だと感じて、いろんな活動を続けているそうです。

将来の夢は?
まだ、シャンソンを知らない人たちにシャンソンに届けたい。生ものの歌を裏切らずに歌っていきたい。秀実さんが「エディット・ピアフ」の歌を聴いて、人生が変わったように、感動を与えられる歌を歌って行きたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “慈愛”
秀実さんの祖母が残してくれた言葉。世の中は便利になっていても悲しいニュースが多く、殺伐とした時代。だからこそ、人の心を思いやったり、やさしさだったり、心配したり、愛したり、そんな事が大切に思える。
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by crossroadmidori | 2010-05-14 18:38 | 2010.05.14(佐々木秀実)

野坂暘子(野坂昭如夫人、シャンソン歌手、元宝塚女優)   

野坂暘子(のさかようこ)
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大切にしている言葉 “昨日より明日,明日よりもっとその先が大事”



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「リハビリ・ダンディ」
 -野坂昭如と私 介護の二千日-

“介護に楽しかったり面白かったりすることなんてないのよ。マジックなんてないの。でも
辛いなんて書いたって面白くないでしょ”

“でも書いていたら楽しくなって、
自分でも笑いながら書いていたのよ”



「リハビリ・ダンディ」、なんて素敵なタイトルなんでしょう。編集者と一緒に決めたとおっしゃったけれど、夫である野坂昭如さんを一番良く知る奥様、暘子さんならではのセンスが光るこの本の中身は、並みはずれたご夫婦の笑いに満ちたものでした。

          あなた、私がいるわよ。大丈夫!

脳梗塞で倒れられた野坂昭如さんとのリバビリの日々を綴られた「リハビリ・ダンディ」に込められた思い。“昨日より今,今より明日。少しで良い方向へ夫を導きたい。介護の大変さの中でそこに貫かれているのは、夫に対する尊敬と愛情。どうしてこんな事に・・・、どうして私だけが・・・、そんな後ろ向きな言葉はどこにもありません。

          “鬼軍曹になって敬礼ごっご”

「野坂は怠け者なの。いつも途中で数をごまかす。だから鬼軍曹になって命令するの。野坂は二等兵。部下は上官には逆らえないでしょ。 でも途中でふたりで笑い出しちゃって。いくつ数えたかなんて分からないの。おかしな夫婦ね。」

「敬礼はどなたがしても背筋が伸びるからいい運動よ。 右手が不自由だから生意気だけれど野坂の言葉を聞き取って代筆しているの。野坂の署名、今の方が格好いい!言葉が少しはっきりしない。特にラリルレロがね。でもそれがフランス語的で素敵なの!」

「介護は忍耐そのもの。でも諦めない。頑張るって言葉は好きじゃなかったけど、今は朝起きると、さあ頑張ろうと思う。落ち込むのは簡単。這い上がるのは大変だから留まらないと。頑張ることは力を入れることではなくて、力を抜くこと。」

暘子さん一流のユーモア。きっと根っからの“ネアカ”。そして野坂昭如さんとのご夫婦ならではの強い絆を感じます。昭如さんの「黒の舟歌」を聞きながら、“素敵でしょう!歌、うまいでしょう!”と。。。そんな暘子さんも、まだお子さんが小さい時に、商店街でマリリン・モンロー・ノー・リターン」が聞こえてきたりすると、恥ずかしくて大慌てして逃げ出したのだとか・・・・。

            野坂昭如、歌手活動再開!

実は、野坂昭如さんは、“クロード・野坂”と名乗って、その昔、美輪明宏さんと同じ〈銀パリ〉で歌ったことがあるとか。「どうしてクロードなの?」の問いに「僕はシロート(素人)ではない!」と答えられるほどの歌手

今もお風呂で「クロード・野坂さん一曲お願いします。」と云うと「僕のギャラは高いよ!」とかえされるのだそうです。だから“リハビリソング”で歌手活動再開を目論んでいる。作曲家にお願いしている曲名は“大介護”。「介護する人が歌うのよ」と楽しそうに話される暘子さん。

            “野坂暘子、ミニコンサート”

暘子さんは今も自ら経営するギャラリーYMAで、シャンソンを歌われています。月に2回ほどのミニコンサート。“人前で歌うことは緊張する、それが良い刺激。私のリハビリなの”。

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060.gif「とてもいいわ」野坂暘子
060.gif「黒の舟歌」野坂昭如 
060.gif「銀パリ物語」野坂暘子
 
           
             “大切にしている言葉”

「今、何もかもが大事。野坂との日々の暮らし。一瞬一時の触れ合い。ここにいること。嫌なことは忘れちゃう。さっきよりこの先。昨日より明日。自分で自分を褒めてあげること。」 一言では云えないとおっしゃって最後に、“宝塚時代、地方公演の旅の中で静岡が一番好きだった!劇場もホテルも食べ物も全部!”と云う、お嬢さんからのメッセージも伝えてくださいました。

          ★★★ ★★★ ★★★ ★★★

野坂暘子さんは、昨日より明日。明日がよくなることを考える。大変だろうなあと思うことを笑って話される強さ、人を包みこむ優しさ、明るさ。野坂昭如さんに対する深い愛情。女性として憧れてしまう素敵な女性でした。
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by crossroadmidori | 2009-05-22 19:20 | 2009.05.22〈野坂暘子〉