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大橋純子(歌手)   

今週のゲストは、私が大ファンで、リクエストにお応えいただきご出演いただいた大橋純子さんです。

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現在の活動は?
大橋純子さんの主な活動はライブ。7月は、ここ数年、ジャズクラブのライブツアーを大阪、名古屋、東京でやられています。お客様はお食事をしながらリラックスして聞いていただけるので会場の雰囲気もよくやりやすいそうです。
ジャズクジャズクラブのライブは限られたスペースですから会場の雰囲気を感じられ、お客様の顔も半分くらいは見えて掛け合いもあったり、お客様との距離も近い中でのライブ。
まさに生の迫力が感じられるライブステージですね。

初めての邦楽カバーCD「テラ」
3年前にはじめて邦楽のカバーにトライをされて出されたCDが「テラ」。やってみたら面白かったから昨年には「テラ2」を出されています。
私はアレンジが、どの曲もとっても素敵だと思っていて、大橋さんの歌声に凄くマッチしていると思ってお聞きしたら、「実をいいますと、そこがポイントなんですよ。凄くこだわっていますの。そこには。」。選曲については、ある歌ってみないとわからないこともあり、カラオケBOXにスタッフと一緒に行って十数曲を歌って決めたそうです。

■大橋純子 ♪ あの日に帰りたい♪
テラ2の中から荒井由実のカバー曲。

音楽の世界に入ったきっかけは?
子供の頃から歌が好きだった大橋さん。その頃の事を大橋さんは「私は北海道は夕張市の生まれ育ちなもんですから、はっきり言って田舎です。田舎の町で歌を歌う場所と言えば、私の時代ですから学校で音楽の時間、あとは学園祭って言うか文化祭ですかね? 学芸会? 小学校の頃だと。学芸会の頃からいうと合唱団ですかね。そういうところに入って歌うしかなかったんですが、とにかく、たぶんね。人前で歌うのが好きだった。おまけに家は実家が食堂だったんですよ。それで、凄く子供の頃からませてたらしく、どうもお客さんの前でテーブルに上がって、美空ひばりさんの歌とか、いわゆる流行歌をですね。披露して10円もらっていたそうです。」
高校卒業までは夕張にいて、短大入学を機に札幌へ。そこで北大の軽音楽クラブに入って、憧れのバンド活動を開始。短大卒業後はアナウンサーを目指したのですが、就職試験で地元の放送局に落ちてしまいます。途方に暮れて考えたのが自分は歌が好きだってこと。歌を歌うことしか出来ないってこと。それから親の反対を押し切って上京しヤマハの財団でアルバイトをしながらバンド活動を続け、知り合いから紹介をされレコード会社のオーディションを受けて合格されました。

■SERGIO MENDEZ AND BRAZIL 66 ♪MAIS QUE NADA♪
この曲を聞くと中学校、高校生の頃の冬の夕張の町並みを思い出すそうです。

歌手生活36周年
歌手生活36年の人生を振り返って大橋さんは「私は出会い、非常に人との出会いで、私は運良く来て、運とつきだけでここまで来たなあって感じなんです。私の人生。一口でいいますと。」
大橋純子さんの曲って、歌って変わってきたと思いますか? の問いに大橋さんは「ヒット曲って言うのは、それぞれどの歌手の方も想い入れと同時に必ずここにはドラマがありましてね。私もたそがれマイラブなどは、最初、企画ではじまったもんですから、実は最初は歌いたくなかった。」。大橋さんは「シンプルラブ」でバンドを背負って活動を始めた。大橋さんにとっては理想的な活動をはじめたとこだった。その1年後に歌謡曲色の強い「たそがれマイラブ」の話が持ち上がり、歌謡曲のイメージを着けたくなかった。ところが皮肉にも出してみるとデビュー以来の大ヒット。大橋さんは「いま考えてみますと、そういうヒット曲の数々が私の宝となって36年目に入ったわけですから、やっぱり私にとっては、なんだかんだ言っても運がいいんだと思います。」。とおっしゃっていますが、私はすべて意味があったものだったのではと思います。

■Stevie Wonder ♪You Are The Sunshine Of My Life♪
大橋さんと同じ歳で、大好きなアーティスト。憧れであり、目標。


☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “ネバーギブアップ”
歌い続けて一生を終えたい。いつまでも現役を続けたい。

by crossroadmidori | 2010-07-02 18:47 | 2010.07.02(大橋純子)

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