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森田清子(株式会社 森田オフィス 代表取締役社長)   

この番組にも出ていただいているイッセー尾形さんが所属する事務所の社長兼プロデューサーの森田清子さんをお迎えしてお話を伺いました。
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イッセー尾形さんの公演でしか活動していないプロデューサー?
森田さんと森田さんのご主人でもあられる演出家の森田雄三さんとイッセー尾形さんの3人でアマチュア時代から活動されていたそうです。お客さんも入らないから公演の資金も自分達で調達していたそうです。松坂屋 静岡店へも1週間勤めたこともあるそうです。イッセー尾形さんの一人芝居の誕生は、森田さんの出産がきっかけ。森田さんにお子さんが出来て働けなくなり資金調達も難しくなったため最後の公演をやることになり、その公演でイッセー尾形さんがやったのが「一人芝居」だそうです。
その後、テレビの勝ち抜き合戦にだしたら「一人芝居」が認められたのですが、テレビの仕事だけでは食べてはいけなかったので、アルバイトをしながらの生活は続いたそうです。
当時、イッセー尾形さんと森田雄三さんのスケジュールを把握しているのが森田さんしかいなかったので、なんの知識もなく現場仕事がはじまったそうです。

■マックス・ラーベ&パラスト・オーケストラ ♪白い船のいる港♪
2006年にイッセー尾形さんの招きで初来日し話題となった、12人編成のオーケストラ。日本語のCD300枚の中からラーベさんが選んだトップ1だそうです。

私たちはとてもシャイ?
森田さんもご主人もイッセー尾形さんもとてもシャイな方々で、人とお話をすることがほとんどないそうで、イッセー尾形さんのスタッフも積極的に社会参加ができないシャイなみなさん。そんなみなさんで南は沖縄から北は北海道まで年間100ステージの興行を組んでいらっしゃいます。興行は全て自分たちでやっている。いまでは1ヶ月半あれば、どこでも興行できるそうです。

■マックス・ラーベ&パラスト・オーケストラ ♪ 夜来香(イエライシャン) ♪

これからの活動は?
年間100以上の公演をこなしていらっしゃる森田さんたちですが、海外の方たちを招聘するNPOラララを立ち上げたそうです。これは森田オフィスの若いスタッフのみなさんが理事をやられている。いま、スタッフのみなさんはイッセー尾形さんの公演の仕事しかされていない。スタッフのみなさんの将来を考えて設立されたそうです。

■マックス・ラーベ&パラスト・オーケストラ  ♪ 野球小僧 ♪

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


こころがけなければならない言葉  “あなたはどうなの?”
いまイッセーさんやオフィスのみんなにかけている言葉。表現をしないと相手には考えやこころは伝わらない。
どんなことでもいいから言ってね。どんな表情でもいいから出してね。

# by crossroadmidori | 2010-05-07 18:40 | 2010.05.07(森田清子)

中西浩一(株式会社オンリー 代表取締役社長兼会長)   

今週のゲストは、株式会社オンリーの代表取締役社長兼会長をやられている中西浩一さん。働く男女には欠かせないスーツの販売で全国展開をされています。

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オンリーって、どんな会社?
静岡にも店舗がある「ザ・スーパースーツストア」を中心に、働く女性を応援する「シー・ラブズ・スーツ」、オーダー専門の「インヘイル エクスイル」、「スーツアンドスーツ」など、広く展開されています。
私が静岡店を訪れた時に気がついたのがスーツの並べ方。身長別・体型別になっていたので並べ方が全然違うと言う印象でした。中西さんの思いつきで、よくあるA5とかA6とか、独特の名前でわかりにくいと感じたから、お客様も少なからず身長と体重くらいは覚えてるだろうと、お客様に自由に選んでいただくための心遣いだそうです。
オーダーは、もっと気軽にオーダーが出来る「テーラーメイド」と言う名前で注文を頂いているそうです。もちろんシンクファッション、シンクバリュー、オーダーでも38,000円から受けていらっしゃいます。オーダーは注文してから作るため在庫ロスがないため、お求めやすい価格で提供できるそうです。無駄なロスを省くオンリーの企業努力の表れですね。

■松田聖子 ♪あなたに逢いたくて♪
今日は想い出の曲と言うよりは、お話の時代背景、その当時流行していた曲でお送りしています。

仕事をはじめたきっかけは?
中西さんのお父様が「テーラー」を営んでいらっしゃって、大学受験に失敗したことをきっかけに、早くいちにんまいになりたくて、親に楽をさせたい、お父様の仕事を子供の頃から見ていたので、洋服の道に入るのがいちにんまいになるのに一番早いと思い「テーラー」で修行することを決めたそうです。昔の「テーラー」は縫製→カッティング(裁断)を経て営業にでるのだけど、「テーラー」の社長に縫製は向いてないから店に出ろ(営業)と言われ、いきなり営業、縫製はほとんど習っていないそうです。ただ、カッティングはしっかり習いたいと思い、裁断学校に行ったり、ヨーロッパに勉強に行ってマスターしたそうです。

独立開業はクルマがお店?
「テーラー」で5年間修行の後、24歳で「紳士服中西」を独立開業。10年落ちのコロナと開業資金21万7千円。開業資金は今でも机の中にしまっていて、何かあるごとに見て初心を思い出しているそうです。
当初はクルマの中に生地を置いて訪問販売。5年後の29歳に日頃から可愛がっていただいていたお客様にアドバイスをいただき、オーダースーツだけではなく、先を見つめて、もっと広い意味で、紳士服を扱って行こうと考え、株式会社オンリーを設立したそうです。
オンリーとは、一点もの、オンリーワンの意味があるそうです。

日本紳士服技術コンクールにおいて
最高の栄誉である「高松宮技術奨励賜杯賞」を受賞

中西さんはカッティングはやられるけれど、縫製はやられない。その当時、会社には素晴らしい職人さんが多数在籍されていたが、その中でも50歳を迎えられる職人さんがいて、その人は洋服づくりが人生だと言うような人で、50歳の節目に二人で素晴らしい服をつくってコンクールに出そうと言うことになり、40日間かけて一着のタキシードをつくって出品したら最高位の賞をいただくことになったそうです。

順風満帆?
39年間、凄く順調に歩んで来られたように見える中西さんですが、前年対比で売上が落ちた事が過去に3回。中西さんにとっては、その3回が転機になっているそうです。
1回目は株式会社オンリーをつくった時。どうしても去年の売上を増さらず、なんとかしなければと思っていた時にアドバイスをいただきオンリーを設立。
2回目がバブル崩壊の1995年。バーゲン以外はなかなか売れない。40日間のバーゲンの売上が後の325日の普通の売上を増さっていた。その事にショックを受け、もう一度、原点に戻りイタリアメイドの服を46,000円と58,000円の二つの価格で売る、その代わりバーゲンもしないし社員販売もしない、社長も同じ価格で買うことを始めた。
「お客様に喜んでいただけるようにすれば、こんなに売れるのか」と実感したそうです。

■パフィ ♪これが私の生きる道♪

お客さんもつくりても仲間?
お客さんもつくりても仲間だから正直にやるのが大切。値段も製造価格を表示して値段はお客様に決めていただくことも考えたことがあるそうです。
3回目は2004年でオンリー初の赤字の年。翌年には無事回復して上場されたそうです。

将来の夢は?
ひとりでも多くの人にオンリーの洋服を着ていただき、喜んでいただけるような洋服をつくっていきたい。それから満足払いの店の実現。他にもマンツーマンで接客が出来る昔ながらの「テーラー」をはじめたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “知行合一”
知ることは行うこと。行うことは知ること。
やってみてアカンかったら、またそこで反省したらいいこと。
とりあえず知るためには行なわんとアカン。

# by crossroadmidori | 2010-04-30 18:48 | 2010.04.30(中西浩一)

中西浩一(株式会社オンリー 代表取締役社長兼会長)   

今週のゲストは、株式会社オンリーの代表取締役社長兼会長をやられている中西浩一さん。働く男女には欠かせないスーツの販売で全国展開をされています。
中西浩一(株式会社オンリー 代表取締役社長兼会長)_f0207537_2532567.jpg


オンリーって、どんな会社?
静岡にも店舗がある「ザ・スーパースーツストア」を中心に、働く女性を応援する「シー・ラブズ・スーツ」、オーダー専門の「インヘイル エクスイル」、「スーツアンドスーツ」など、広く展開されています。
私が静岡店を訪れた時に気がついたのがスーツの並べ方。身長別・体型別になっていたので並べ方が全然違うと言う印象でした。中西さんの思いつきで、よくあるA5とかA6とか、独特の名前でわかりにくいと感じたから、お客様も少なからず身長と体重くらいは覚えてるだろうと、お客様に自由に選んでいただくための心遣いだそうです。
オーダーは、もっと気軽にオーダーが出来る「テーラーメイド」と言う名前で注文を頂いているそうです。もちろんシンクファッション、シンクバリュー、オーダーでも38,000円から受けていらっしゃいます。オーダーは注文してから作るため在庫ロスがないため、お求めやすい価格で提供できるそうです。無駄なロスを省くオンリーの企業努力の表れですね。

■松田聖子 ♪あなたに逢いたくて♪
今週は想い出の曲と言うよりは、お話の時代背景、その当時流行していた曲をお送りしています。

仕事をはじめたきっかけは?
中西さんのお父様が「テーラー」を営んでいらっしゃって、大学受験に失敗したことをきっかけに、早くいちにんまいになりたくて、親に楽をさせたい、お父様の仕事を子供の頃から見ていたので、洋服の道に入るのがいちにんまいになるのに一番早いと思い「テーラー」で修行することを決めたそうです。昔の「テーラー」は縫製→カッティング(裁断)を経て営業にでるのだけど、「テーラー」の社長に縫製は向いてないから店に出ろ(営業)と言われ、いきなり営業、縫製はほとんど習っていないそうです。ただ、カッティングはしっかり習いたいと思い、裁断学校に行ったり、ヨーロッパに勉強に行ってマスターしたそうです。

独立開業はクルマがお店?
「テーラー」で5年間修行の後、24歳で「紳士服中西」を独立開業。10年落ちのコロナと開業資金21万7千円。開業資金は今でも机の中にしまっていて、何かあるごとに見て初心を思い出しているそうです。
当初はクルマの中に生地を置いて訪問販売。5年後の29歳に日頃から可愛がっていただいていたお客様にアドバイスをいただき、オーダースーツだけではなく、先を見つめて、もっと広い意味で、紳士服を扱って行こうと考え、株式会社オンリーを設立したそうです。
オンリーとは、一点もの、オンリーワンの意味があるそうです。

日本紳士服技術コンクールにおいて
最高の栄誉である「高松宮技術奨励賜杯賞」を受賞

中西さんはカッティングはやられるけれど、縫製はやられない。その当時、会社には素晴らしい職人さんが多数在籍されていたが、その中でも50歳を迎えられる職人さんがいて、その人は洋服づくりが人生だと言うような人で、50歳の節目に二人で素晴らしい服をつくってコンクールに出そうと言うことになり、40日間かけて一着のタキシードをつくって出品したら最高位の賞をいただくことになったそうです。

順風満帆?
39年間、凄く順調に歩んで来られたように見える中西さんですが、前年対比で売上が落ちた事が過去に3回。中西さんにとっては、その3回が転機になっているそうです。
1回目は株式会社オンリーをつくった時。どうしても去年の売上を増さらず、なんとかしなければと思っていた時にアドバイスをいただきオンリーを設立。
2回目がバブル崩壊の1995年。バーゲン以外はなかなか売れない。40日間のバーゲンの売上が後の325日の普通の売上を増さっていた。その事にショックを受け、もう一度、原点に戻りイタリアメイドの服を46,000円と58,000円の二つの価格で売る、その代わりバーゲンもしないし社員販売もしない、社長も同じ価格で買うことを始めた。
「お客様に喜んでいただけるようにすれば、こんなに売れるのか」と実感したそうです。

■パフィ ♪これが私の生きる道♪

お客さんもつくりても仲間?
お客さんもつくりても仲間だから正直にやるのが大切。値段も製造価格を表示して値段はお客様に決めていただくことも考えたことがあるそうです。
3回目は2004年でオンリー初の赤字の年。翌年には無事回復して上場されたそうです。

将来の夢は?
ひとりでも多くの人にオンリーの洋服を着ていただき、喜んでいただけるような洋服をつくっていきたい。それから満足払いの店の実現。他にもマンツーマンで接客が出来る昔ながらの「テーラー」をはじめたいそうです。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆


大切にしている言葉  “知行合一”
知ることは行うこと。行うことは知ること。
やってみてアカンかったら、またそこで反省したらいいこと。とりあえず知るためには行なわんとアカン。

# by crossroadmidori | 2010-04-30 18:47 | 2010.04.30(中西浩一)

加藤登紀子(歌手)   

先週に引き続き今週も加藤登紀子さんに素敵なお話をお伺いしました。
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■加藤登紀子  ♪知床旅情♪
今日のオープニング曲は加藤登紀子さんが1971年にレコード大賞歌唱賞を受賞された曲です。

歌手として、いろんな世界に飛んで行けるのが好き!
「時には昔の話を」、宮崎駿さんの映画「紅の豚」のエンディング・テーマですが、「あの日のすべては虚しいものだと、それは誰にも言えない」と言うフレーズを宮崎駿さんに気に入っていただき採用されたそうです。
登紀子さんはオリジナルの曲をつくったり歌っている時は自分がでるのだけど、歌手として、いろんな歌を歌っている時に、いろんな世界に飛んで行けるのが好きだそうです。
たとえば「紅の豚」のオープニング・テーマ「さくらんぼの実る頃」を歌っていると、いろんな人が生きた時代を自分の身体で感じられるような気がする。女の色気が漂ったりする歌は、なかなか自分のオリジナルではかけなくて、でもシャンソンを歌っている時はいろんな女になれる。だから、コンサートではオリジナルは半分くらい、後はいろんな曲を入れて構成するそうです。「紅の豚」はジーナ的なものと加藤登紀子的なものが両方クロスしたもので嬉しかったそうです。

赤い糸
私が大好きな「百万本のバラ」は登紀子さんのオリジナル曲だと思っていたのですが、ラトビアと言う国の革命歌だそうで、「さくらんぼの実る頃」も19世紀フランス市民の革命歌、「やはり、どこか、そういうものと赤い糸で自分の人生と結んでしまうところがあるのかなぁって。」そんな風に登紀子さんはおっしゃってらして、根本の想いとか、人々の沸き上がる、自然と本能的にしみ出てくるような想いを私は登紀子さんの歌から感じます。

■加藤登紀子 ♪時には昔の話を♪
スタジオジブリ 宮崎駿監督「紅の豚」のエンディング・テーマ。登紀子さんは「マダム・ジーナ」の役で声優として出演もされています。

曲づくりって、どうやって生まれてくるんですか?
日頃から登紀子さんは音楽は好きだけど、聞かないようにしている。自分の中から沸き上がってくる気持ちに身をまかせるような感じ。それって誰かの曲でない保証はない。だからいろんな曲を聞いて自分の中を他の人の曲で埋めちゃうと、その人の曲に捕われてしまうから。

■Yae  ♪あいをよる おもいをつむぐ♪
登紀子さんの次女Yaeさんの歌です。

男の子が欲しかったご主人
登紀子さんのご主人は男の子が欲しくて、女の子の名前が思いつかなかった。長女だけはご主人が名前をつけたけど、後の二人は登紀子さんが名前をつけたそうです。
ご主人が他界してから8年目、その間に5人のお孫さんが生まれたのですが、その中に男の子が二人。男の子の経験がなかった登紀子さんにとって、男の子はとっても楽しくて、男の子ってなんて困った生き物なの。何をやってもぶつけるし、棒を持って振り回すし、女の子の孫や兄弟と遊んでいてもなぎ倒すし、「男の子は生きていくのは大変」「男の子は面白い」だそうです。
ご主人が生きていてくれたらどんなによかったかなぁって思ったりするそうです。
きっとご主人も見てくれていますよね。


■加藤登紀子 ♪君が生まれたあの日♪
加藤登紀子さんの新曲。父親は子供に対して何を思うのか。ご主人をイメージしているのだけど、曲をつくっている過程で向いている相手が男の子に変わっていっている感じだそうです。
今年、45周年を迎える登紀子さんが、これから生きて行く若い人たちにエールとして送りたい曲だそうです。

話が尽きない、ずっとお話をしていたいなぁって、そんな雰囲気の登紀子さんでした。

■加藤登紀子 ♪我が人生に悔いなし♪
今日のエンディング曲は加藤登紀子さんの我が人生に悔いなしです。

# by crossroadmidori | 2010-04-26 18:48 | 2010.04.23(加藤登紀子)

加藤登紀子(歌手)   

今週のゲストは、女性から見てもとっても素敵な魅力を持ってらっしゃる加藤登紀子さんを2週に渡ってお迎えしてお話をお聞きしました。
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■加藤登紀子  ♪赤い風船♪
今日のオープニング曲は加藤登紀子さんが1966年にレコード大賞新人賞を受賞された曲です。

歌手生活45周年!
歌手生活45周年を迎えられた登紀子さんもデビュー当時はまだ大学生。新聞記者の皆さんからは芸能界には向かない、1年くらいでしっぽを巻いてやめちゃうんじゃないのと言われて、5年は頑張るって言い返してた登紀子さん。
そんな登紀子さんも結婚して子供をつくったら、また新しい世界がはじまるかもしれないと思い、1972年には一度引退をされています。
でも子供が出来て復帰した時は「もう本当に歌いたくて、歌いたくて、あぁ、こんなに私って歌いたかったのかなぁ。」って実感されたそうです。
最初は歌手の道一筋で、これで一生生きるぞぉって気持ちがなかったので、45周年って言うのが不思議な感じだったそうですが、いまでは死ぬまで歌っていたいなあって気持ちで一杯だそうです。
いまは45周年のコンサートツアーと新曲が発売されるのでキャンペーンに走り回っている登紀子さんですが、「鴨川の自然王国」や「佐渡のトキの環境自然大使」など、歌手以外でも活動されていらっしゃいます。
登紀子さんは「人はとどんな仕事を持っていても半分は命する時間が必要だよね。」と思いながらやってきているそうです。

■加藤登紀子 ♪ひとり寝の子守唄♪
1969年にレコード大賞歌唱賞を受賞された曲です。

1968年は歌手として本気になるきっかけとなった年
1968年は登紀子さんが「本当に、あんたやれるの?!」って悲壮な気持ちになった年。世の中にいっぱいフォークソングが出て来た時期で、世の中が本当にいろんなことが変わったった頃だったそうです
そんな時に、新宿のアンダー・グラウンド・シアター蠍座で寺山修司さんの演出で公演をしていた浅川マキさんと出会い衝撃を受けた。以後、浅川マキさんとは大親友になったそうです。
世の中はすごく華やかな時期、それとは裏側、陰陽な関係、反社会的なものとのせめぎ合いみたいなものがあり、お二人は、その真っただ中にいたそうです。

■浅川マキ  ♪かもめ♪
寺山修司さんの書いた詞。登紀子さんは寺山修司さんとも親好が深かったそうです。

若者が威張っていた時代、未知なるものに向かって何か創っていた時代。
若者が寺山修司さんのような権威がある人に対しても「なに、このへんなおっさん」みたいに、ビクビクせずに接することが出来た時代。ウキウキするような気持ちやワクワクするような表現がつまらないものになってはいけないってラジオやテレビでも思っていた時代。とってもおおちゃくなことが、むしろ歓迎されていた。当時「ハプニング」と言う言葉が生まれて、何が起こるかわからないような番組演出もあったそうです。
世の中がまだ、出来上がっていなかったから自由だった。とても楽しい時代ではあったそうです。

アマチュアリズム
音楽の場合でも大作曲家がつくった曲を流行歌手が歌ってるスタイルだったけれど、今の時代を表現するには、それじゃ追いつかない。自分たちの気持ちを歌うにははまらないみたいなものがあって、新しい時代を若い人たちがどんどんつくっちゃった。いままで、出来上がってきた権威・カタチをいつもどこかで打ち破るのはアマチュア。時代でスタンダードだと言われているものから、ちょっと一歩踏み出したり、壊したりするのはアマチュアリズムで、自分はその真っただ中から出てきた歌手だと思う。その時の自分と今やろうとしていることを比べても、そんなに変わらない。45年もやったんだから大御所でしょと言われても、時代に対してなにか新しいものをつくりたいなあって思った時に、それが新しいか古いかの問題じゃなくて、専門家じゃなくてもいい。人はみんな生きているわけだから、生きていることの中から生まれてくるものであれば誰がつくってもいい。そんな気持ちで今も歌をつくっているので、アマチュアリズムの究極でいいわって思ってらっしゃるそうです。

■加藤登紀子 ♪君が生まれたあの日♪
加藤登紀子さんの新曲。

来週も引き続き加藤登紀子さんをお迎えして、素敵なお話を伺います。

■加藤登紀子 ♪百万本のバラ♪
今日のエンディング曲は加藤登紀子さんの百万本のバラです。

# by crossroadmidori | 2010-04-16 18:35 | 2010.04.16(加藤登紀子)