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高橋夕季さん(共同通信社 記者)   

今週のゲストは、記者の高橋夕季さんです。静岡ご出身の高橋さんですが、東京本社に始まり、札幌、釧路、広島、再び東京本社へ、そして昨年の春からは京都支局にお勤めされています。転勤の多さにビックリ!
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“共同通信社”って・・・?
高橋さんが勤務しておられる“共同通信社”。名前は聞いたことがありますが、実態が分かっているような、いないような・・・「例えば、静岡ですと静岡新聞さんのような、各地の新聞社を中心に、ラジオ局、テレビ局にも記事を配信している会社です。全国47都道府県に支社支局を置いているので、ご自分達のエリア以外のニュースは弊社からの配信記事を使って頂いたりしていることが多くあります。」 新聞を読んでいると、記事の一番最後に(共同)って書いてあることがありますが、あれはまさしく共同通信社からの記事ですよ、という意味なんだそうです。特に海外で取材されたものにそのクレジットがついていて、国内で取材されたものは、そのクレジットがない隠れたものも実は沢山あるそう。国内外問わず、取材した記事を日本全国のマスコミに配信している、記事のおおもとになってる通信社なんですね。

♪「season
東京本社の文化部では芸能を担当され、そのときに一番熱中したのがジャニーズ事務所の方々の取材。高橋さんご自身はそれまでファンというわけではなかったけれど、嵐の初のアジアツアーに同行取材した際に、初めてジャニーズのコンサートを目の当たりにして、そのエンターテイメント性の高さに驚き、「なんて人を喜ばせることが出来る人達なんだろう!これを人に伝えなくては」という気分にさせられたそうです。もともとは興味のなかったジャニーズの取材を始めたきっかけは??「新聞を作っている人というのはどうしても男性が主体で、例えば芸能記事であれば、じゃあ綺麗な女優さんの記事、というように男性が興味を持つような記事を沢山載せてしまう傾向が強いんですね。でもそんな中で、私は芸能の記事を読んで下さっているのは女性の方が多いんだということを確信していましたので、だったら女性の方がもっと読みたいと思うような記事を書きたいと。じゃあどうしようか、と思った時に、人気のある方達がいっぱい所属しているジャニーズがいいんじゃないかと思って、取り掛かりました。」

「だから結婚できないんですよ(笑)」
記者さんの一日ってどんな感じ?「朝は割と遅いんですが、10時くらいに会社に行って、夕刊締切の13時半頃まで何事もないことを祈りつつ、新聞を読んだり、電話取材をしたりしながら過ごします。午後から私は外に出て行って、記者クラブというのがありますので、ニュースチェックをしたり、記者会見に出席したりしております。」 突発事故があったり、締切のある原稿を抱えた場合などは夜遅くなる時もあるし、朝刊の締切まで待機する夜勤もあるそう。本当に大変なお仕事ですね。転勤も多くて、恋をする暇もないのでは?!「会社に異動を言われたときに、『だから結婚できないんですよ!』と上司に言った事もあります(笑)」
そもそも記者を目指したきっかけは、よく覚えていないという高橋さん。「あまり明確な理由があったわけではないと思うんです。いろんな方にお目にかかれるし、いろんな場所に行けるし、刺激を受けられる仕事、というのがまずは頭にあって。そのときは社会的な責任感などは感じてなかったんですね、正直なところは(笑)。でも、実際始めてみて、新聞社に感想を寄せて下さったり、最近ではブログに感想を書いて下さったり、そういう反応がとても嬉しい。自分の書いた記事で何かを考えて下さる方がいらっしゃるということに喜びを見出だし、何かそういう方々を刺激するようなことを書いていきたいな、と思うようになりました。

高橋夕季さん(共同通信社 記者)_f0207537_22363540.jpg♪「Maybe」中島みゆき
「自分が壁にぶつかったとき・・・例えば、大学受験に失敗した時、超氷河期と呼ばれた時期に就職浪人をすることになった時によく聞いていた曲です。」 記者になられてからも、すごく紆余曲折があって、壁にぶつかったこともあるのでは・・・?「やっぱり何度か辞めたいと思ったことはありますけれども、今となると、じゃあ何で辞めたかったか、と言われると意外とあっさり忘れてるんですね(笑)」


「素人で申し訳ありません」
新米の頃にはこんなエピソードも・・・「入社当時、ある大きな事件がありまして、入社初日に『ガサがあるからお前行って来い』と言われたんです。“ガサ”というのは、捜査当局の家宅捜索のことですが、まずその言葉も知らなくて。『お母さんがどうかしたんですか?』と聞いてしまいました。“ガサ”が“かあさん”に聞こえて!そんなところからスタートいたしました。本当に恥ずかしい話で(笑)」 時に警察周りをしたり、政治関係に、芸能や芸術の分野など、多岐に渡るジャンルの取材をするためには、自分自身の引き出しをかなり沢山持ってないと難しそう・・・「その通りで、常に自分が取材させていただく相手というのは、自分よりもその分野に詳しい方であるということが多いものですから、『素人で申し訳ありません』という形で、取材先の方々に教えていただきながら、自分で幅を広げていかせて頂いている、という状況です。そうやっていろんなことにチャレンジさせていただいているので、次にまた新しいアイディアを出す源が出来るんですね。今はせっかく京都におりますので、伝統芸能や美術など、京都でしか取材できないことなどもいっぱい取材して、またそこから新しい発想のもとに面白い記事を書いていけたらいいな、と思っております。」


高橋夕季さん(共同通信社 記者)_f0207537_22381666.jpg♪「 Let It Beザ・ビートルズ
中学校の下校時に流れていた懐かしいビートルズの曲を聴きながら、人生のクロスロードを迎えているかもしれないリスナーの方々へメッセージを頂きました。「自分も本当に悩んでばっかりなので、偉そうなことは言えないのですが、人生はやっぱり上手くいくことばかりではないので、苦しんだり、悩んだり、落ち込んだり、そういうときがあるから、『あぁ、嬉しい!』っていう瞬間がとても輝かしくなるんじゃないかな、と思います。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆

苦しさがあるからこそ、楽しい時がより楽しくなるものですよね。これからもお忙しいでしょうけれど、頑張って取材してくださいね066.gif

# by crossroadmidori | 2010-03-05 23:59 | 2010.03.05(高橋夕季)

山村レイコさん(エッセイスト)   

今週のゲストは、山村レイコさん。静岡の方には、TV番組「エンジョイDIY」でおなじみの山村さんですが、どうご紹介していいやら、というほどの沢山の活動をされています。ご自身のHPでのプロフィールから紹介させていただきますと、エッセイスト、元国際ラリースト、農民(!)、自然回帰型生活びと(!!)等々。どんなお話が飛び出すのか楽しみです。
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自然回帰型生活びと?!
山村さんのお住まいは富士山麓の朝霧高原。酪農をなさったりしながら、自然と仲良く暮らしていらっしゃいます。「14年前にあちこち探して辿りついた所が朝霧高原。標高920mの寒いところだけど、景色がスコーンって見えて、本当に気持ちが良いんですよ。黄金色に輝く海に、伊豆の先端まで見えたり。自然がとにかく私の人生のテーマですね。」 そんな自然の中で一緒に暮らす家族は、山羊5頭とポニー1頭、猫2匹、ワンちゃん3匹、鶏5羽。実は、私も山羊と一緒に暮らすのが夢なのです・・・うらやましい限り!「いいですよ~ヤギちゃん。もうね、ずっと笑ってるんです。性格も良いし、お乳もくれるし。他の動物がいろいろいる中で、ヤギがいるからまとまっている感じがあるんです。鶏も幸せだし、馬もすごく元気になっちゃったし。いろんな種類が少しずついっぱいいるのが、平和なんだな、ってのが分かった。人間と同じなのよ(笑)私は学ぶんですよね。人間ってやっぱり、自分もそうだけど、物を持ち過ぎちゃったりとか、人のことを気にしたり、いろんなことで自分自身じゃなくなってくるようなところってあるじゃないですか。でも、山羊を見ていると、あの薄い毛皮だけで生きていて、しかも幸せそうにね(笑)口喧嘩とかもしてるんですけど、それもすぐ直っちゃう。もうシンプルそのものなんですよ。

山村レイコさん(エッセイスト)_f0207537_2341166.jpg♪「私を泣かせてください(Lascia ch'io pianga)」サラ・ブライトマン
「私の夢の一個はね、みんな絶対ゲラゲラ笑うんですけど、カラオケもすごく下手なんですけど、歌が大好きで『いつか歌習いたーい』とか思って。本当に『お前ほど下手なやつは見たことない』って言われるんだけど(笑)」




とにかく長く。同じ道はないから。
朝霧ではカフェもやっていらして、山村さんご本人が鶏の卵で作ってくださったキッシュや焼きたてパンなどが頂けるそうです。目指しているのは“とにかく根付いた食”。自然を愛する山村さんらしいテーマです。「うちはサラリーマンだったんですけど、住んでいたところが大自然の中だったんですよ。長崎の対馬だったり、北海道の大平原の中だったり。そういうところを回っていたので、自然が無いことはもうありえなかったんですよね。20歳くらいで東京に居た頃は『都会もいいな』なんて思っていたんですけど、ラリーがまた自然を教えてくれたんだと思うんです。」 ラリーと言えば、パリダカール・ラリーにも何度も出場されている山村さん。「ラリーがまた面白くてね、私の性格にピッタリなんですよ。とにかく長い(笑) 毎日ずーっと一日中走っているわけですよね。過酷ですよ、ミスコースもするし、転ぶし、壊れるし。でも、それを毎日20日間くらい続けて、それでも足りないくらいの感じなんです。まだ折り返させて、みたいな(笑) とにかく短いものよりは長いものが好き。同じ道がなかなか無いしね。人生と同じで、同じ事やっているけど、同じ時って一回もないわけじゃない?それが面白くって。

山村レイコさん(エッセイスト)_f0207537_23422842.jpg♪「絲綢之路喜多郎
「18歳でバイクで日本一周をしたときに、ずっと自分の中に流れていた曲なんです。この曲で感じるのってやっぱり宇宙ですよね。自分だけの人生じゃなくて、ずっと前後に繋がってる人生とか、もっともっと大きな存在の中で自分が今走っているんだなぁって。そんなことを思いながらバルン、バルーンと走ってたんですよね。」



今の歳になったからこそやりたい
仕事も趣味も常に全力、パワフルに夢を実現してきた山村さんですが、まだまだ夢はいっぱい!8月にモンゴルで開催されるラリーに誘われて、ナビゲーターで出ることが決まったそうです。ラリーは2000年以来で、初心者に戻っていろいろ一から学んでいくのが楽しみとか。「モンゴルもずっと行きたかったんだけど、いつ、どこの大地に行けるか、というタイミングは、私は何か大きな力がくれると思うので、行かない?って言われて『行く行く!』って軽いノリで(笑)」 もう一つの挑戦は “トレールランニング”。 シンプルに山を走るアドベンチャーレースで、それのパリダカール・ラリーに匹敵するような、モンブランをぐるりと166km、2日間くらいかけて走りっぱなし、というレースに出たいと思っているそうです。出場権を得るためには、日本で100km、50km走るようなものを4つ完走しないといけないので、毎日走って鍛えているそう。「52歳になったから何か諦めるんじゃなくて、52歳になったからやりたいって思ったことだったんです。その時その時で目標も、やり方も違うしね。むしろ、数年前、10年前よりも、今の方が自分が自分を好きなんですよね、実は。こんなに頑張っているんだから、体をよしよしってやってあげるような気持ちでね。

山村レイコさん(エッセイスト)_f0207537_23432984.jpg♪「イマジンジョンレノン
「もう人生のテーマですよね。こういう気持ちでラリーもやりたいし、旅もしたいし、生活もしたい。ジョンレノン、ずっと小さいときからファンだったんです。この人がいてくれてよかったな、って思いますよね。これからだって、自分の生活も生き方もどんどん私は変えていこうと思うんですよ。今までの生活が当たり前と思わないで、出来なかったことにもどんどん挑戦していこう、と思う。そのときのヒントがやっぱりこの『イマジン』なのかなって。」

越えられない壁はない
お話しているだけでこちらまですごい元気を貰っちゃう、パワフルな山村さん。そのパワーの源は?「“不思議なこと”かな。キラキラ光るようなことが大好きでね。ワンちゃんと一緒に毎日散歩をするんですけど、本当にもう毎日『わぁ、なに?!この綺麗なの~!』っていう感動があって。太陽に照らされてキラキラ光る雪の影もそうだし、夕日もそうだし。砂漠走っていても、やっぱりこの世で一番すごいのは光なんだな、って感じましたね。太陽の光が全てを映し出すっていうか、そういう不思議さがいいな、って思うんですよね。」 そんなトキメキを忘れない山村さんから、人生のクロスロードを迎えているリスナーの方へのメッセージも頂きました。「やっぱり『ありがとう』じゃないかな?私はラリーで覚えたんだけど、何が来ても『来た来た!よっしゃー!』って思うんですよ。真正面向いて、やっていこうって思うと、笑って越えられるんですよ。倒れた時にも『このことが何を教えてくれるんだろうな?』って。だから拍手で迎えるっていうのはね、結構やってますよ。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆

与えられたものは絶対に越えられるもの。与えられた機会に感謝する。山村さんとお話していると、いろいろな機会や生きていること自体を、自然や大きな力から貰っている、そんな喜びみたいなものを感じました058.gif

# by crossroadmidori | 2010-02-26 23:56 | 2010.02.26(山村レイコ)

海原純子さん(医学博士)   

今週のゲストは、医学博士の海原純子さんです。講演や執筆活動をはじめ、大学での教育活動、ハーバード大学での研究など、幅広くご活躍されています。
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知識の裾野を広げるために
現在は教育や研究に力を注がれている海原さんですが、元々は心療内科のお医者様。1986年に日本で初めて女性のためのクリニックを作られ、“心と体を繋ぐ医療”をしてこられました。「女性のメンタルケアを専門で20年以上やってきたんです。ただ一人一人の治療をやっていても、なかなか基礎知識の裾野が広がらないのね。もう少し裾野を広げないといけないなぁ、と思って、それでいま大学で教えているんです。若い女性達に、基本的な体と心の知識と、それから女性の生き方ですね。考えるようなチャンスを増やして欲しいなと思って。教育活動の方にシフトしながら、いま活動しております。
ハーバード大学での研究は・・・?「“ヘルス・コミュニケーション”といって、『一般の方達に正確な医療情報をどういうふうに伝えていくか』という研究。アメリカはいま大変な格差社会ですよね。貧しくて、知識が無く、インターネットのアクセスも出来ない方達がいる。医療情報が手に入りにくくて、予防も出来ないし、どこにいけば良いかも分からない。そういった貧困の状況が癌の死亡率を上げているというデータがあるので、それをどう改善していくか、ということについて、社会、メディア、それから個人が一体化して取り組む大掛かりなプロジェクトがあって、それに参加して研究しています。」 厚生労働省の健康大使もなさっている海原さん。日本にとどまらず、アメリカでも医療情報を伝える、知識の裾野を広げるという大きな役割を担って、精力的に活動されているんですね。


海原純子さん(医学博士)_f0207537_2139699.jpg♪「月の夜に」海原純子
なんと海原さんご自身の楽曲。「医者になる前に、クラブでずっとジャズを歌っていて、それで生活費を稼いでいたんです。医者になってからは20年以上歌を辞めていたけれども、また歌いたいなと思って。ジャズをやってみたり、自分でオリジナルを作ってみたり、いま音楽活動もしているんです。」この曲は、海原さんご自身が作詞をされたオリジナル。「私の時間~Ma Vie~」というアルバムに収録されています。「南こうせつさんに曲を書いていただいたり、すごく贅沢なCDなんです(笑)」


「自分で生きていける方法を考えろ」
音楽の才能もお持ちの多才な海原さんが医療を志したきっかけは・・・?「父が体が弱かったので、『親はいつまで生きているか分からないから、自分で生きていける方法を考えろ』って、小さな頃から親に言われていて。私の育った時代は、女性は結婚して家庭に入るのが主流な時代だったから『でもまぁ、結婚すればいいじゃない』って言うと『じゃあ夫が病気になったり、死んじゃったりしたら、どうやって自分で生きてくの?』って親が言うんです、小学校の頃にね(笑)だから常に自分がどうやって生きるかっていうことを、考えざるを得なかった。その頃は反発して、嫌だなって思いましたね。小説を書くのが好きだったんで、そういう仕事をやりたいなと思っていたけど、「じゃあ、それで食べていくことが出来るくらいの自信があるの?」って父親に言われると、「えー・・・それは分からない」って(笑)その当時、女性が男性と同じように生きていける仕事というと、医者、獣医さん、弁護士、薬剤師、それくらいしかないな、って。そんな形で選んだ道なんですね。」 お父様の思いを受け入れられた上で、自分らしさを追求する海原さんの前向きなご決断があって、現在のご活躍に繋がっておられるのだろうな、と思います。


海原純子さん(医学博士)_f0207537_21414614.jpg♪「雪のかけら」Walter Lang Trio
「Walter Langという人はヨーロッパ出身。ヨーロッパの人のジャズというのは、アメリカのジャズとはまた違う独特のものがあって、私は今とても好きなんです。自分も日本人だから、ジャズをやる時になかなか難しい壁があって、ネイティブのアメリカ人のようにはとても出来ない。どうやって自分らしいジャズをやろうかという時に、一つ目安になるのがヨーロッパの人達のジャズ。ヨーロッパの伝統とか、育ってきた環境を大事にしている。この洗練された雰囲気ってヨーロッパだな、成熟してるな、と思いながらいつも聴いてるんです。」


大切なのは自分を知ること、そして、自己表現
現代を生きる私達にはとても気になる、メンタルな健康についてのアドバイスも頂きました。「どんな病気のベースにも、やはり精神的な問題がある。例えば皆さん、徹夜が大変だ、時間がないからストレスになっちゃう、って言うけど、実はそうではない。ストレッサーというか、かかる衝撃がいっぱいあっても大丈夫の人もいるし、めげちゃう人もいますよね。ストレッサーの大きさではなくて、本人のパーソナリティ。本人がそれをどういうふうに受け止めるだけのキャパがあるか。或いは、それをサポートする周りの人がいるか。或いは、自分自身をサポートする自分自身であるかどうか、ね。それはやっぱり自分で知ったり、気付いていったりしないと、なかなか難しいですよね。」
それでもやはりストレスを感じてしまったときは、どう対処したらよいのでしょう?「ストレスを上手に乗り切るためには、自己表現をいかに上手にやっていくか。例えば、嫌なとき、自分の出来る範囲を超えていると思うとき、きちんと上手に断るような、アサーティブな技術っていうのは非常に大事ですよね。それからもう一つは、自分の感情や心、悲しい、嬉しい、楽しい、そういう気持ちをきちんと表現していくことの積み重ねってすごく大事。私は愚痴を言うのは嫌いなので、人に聞いてもらうっていうのは嫌なんです。皆さんの中にもそういう方がいると思うんですけど、そういう方は自分の表現方法を持つ。私は物を書いたり、歌ったり、物を作るっていうこと。そういうクリエイティブなことに自分の嫌な気持ちを振り替えていくと、トランスフォーメーションが起きるんですね。嫌なこと、辛いこと、醜いことを自分を通して少し綺麗な結晶にして世の中に送り出す。先ほどの「月の夜に」もそうなんです。そんなふうに綺麗な形で残していって、表現して伝えていく、っていうのが私は大人のやり方じゃないかな、と思います。」


海原純子さん(医学博士)_f0207537_2144687.jpg♪「スカイラーク」 Ernestine Anderson
アルバム「A Song for You」より。「もう何十年も前から大好きな歌手なんです。この方はずっとステージで、この『スカイラーク』を歌い続けて、CDも何枚もある。その時その時で、全部違う「スカイラーク」なの。ボストンにいた時に聴いた『スカイラーク』は生涯忘れられない素晴らしさで!聴いているだけで、涙が出るくらい素敵でした。今まで自分のライブでこの曲を歌ったことがなかったんですけど、それ以来、自分も歌うようになったという思い出の曲です。」


今やりたいことに全力投球
「私は将来どうなるかって、全く考えない性質なんです。いま自分が出来ること、やりたいことに全力をかけるっていうのがすごく好き。そうすると将来が、なんかどんどん開けてくるのね。私はいま歌をやったり、物を書いたり、研究をしたり、っていう生活なので、それを少し掘り下げていきたいですね。やっていることの中の一つ一つのクオリティをどんどん掘り下げて行くことで、いろんなものが連動してくる。実は、音楽と医療って関係なさそうだってお思いかもしれないけど、自分の中では全部連動してるの。カウンセリングも、音楽も、物を書くことも、研究も、いろんなものが自分の中で連動して、融合していきながら、何か素敵な大きなものになって、発信していけたら、って思いながらやっています。」

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆

聞いているだけで、癒されてしまうような海原さんのお話。心がスーっと下に落ちて、とっても落ち着いた、クリニックを受けたような気分になりました!

# by crossroadmidori | 2010-02-19 22:30 | 2010.02.19(海原純子)

川田正和さん(「旅の本屋のまど」店主)   

今週のゲストは、東京・西荻窪にて「旅の本屋 のまど」のオーナー兼店長をされている川田正和さんです。
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“旅の本屋”?
旅の本屋さんって、私は少なくとも静岡では見かけたことがないのですが、どんな本屋さんなのでしょう?「旅に関連するものを本を中心に売っているお店です。“旅”をキーワードに本や雑誌だけでなく、トラベルグッズや雑貨、ポストカード等も置いています。日本には東京に2軒あるくらいなんですが、ヨーロッパやアメリカに行くと、旅の本だけを集めた“トラベルブックストア”という形態が結構あるんですよ。」 旅の本と言えば、ガイドブックや地図を想像しがちですが・・・「それだけだと旅に行くための実用書みたいになっちゃうから面白くないですよね。種類も限られているから、お店の品揃えも偏ってしまう。旅というキーワードに引っかかるようなもの、例えば音楽、料理、スポーツ、建築・・・旅行先で見たり、体験したりするものっていろいろあるじゃないですか。そういうものを自分でセレクトして置くようにしています。」
海外旅行に持っていったガイドブックの情報が実は古くて、行ってみたらお店が変わっていた、なんて経験ありませんか?現地に行かないと手に入らないような最新の“生”の情報が日本で事前に手に入ったら嬉しいですよね。「現地でフリーペーパーとして流通しているようなものを日本に入れて、それを販売したりもしています。現地の人がどこからかうちの店のことを知って、『置かせて下さい』と海外から直接メールなどが来て、それで置くようになったり、っていうことも結構あります。」
川田さんのお店のもう一つの特徴が、“新刊も古本もごちゃまぜ”。分け方はエリアごと。アジア、アフリカなど地域別にコーナーが分かれていて、その中にそれぞれの関連する新刊のガイドだったり、古本の料理の本だったり、というのが並んでいるそうです。「探す人からすると、結局古本とか新刊とかあまり関係なく、自分の欲しいジャンルの本が見やすく置いてあれば喜んでもらえるので。他のお店はあまりやっていないですね(笑)」

川田正和さん(「旅の本屋のまど」店主)_f0207537_22252424.jpg♪「プライドU2
「高校生くらいの時にU2がすごく好きで、中でもこの曲は特に気に入っています。」






旅の中で見つけた夢
お店のコンセプトもユニークですが、「のまど」という名前もとてもユニーク。英語で「遊牧民」「放浪する人」という意味なんだそうです。やはり川田さん自身も放浪好き?!「子供の頃からすごく旅は好きですね。旅をしている最中に、トラベルブックストアというものをいろんなところで見かけて、こういう店を日本で出来たらいいな、というのを漠然と昔から思っていたんです。」 でも、今のお店をやるまでには、紆余曲折があったという川田さん。「大学を卒業して、最初にまず出版社に入ったんですね。でも三ヶ月くらいで辞めてしまって、そのあとフリーターみたいになっていたんですよ。モラトリアムみたいな感じで、バイトしつつ、ちょっと旅行したりとか。自分探し、というか、自分に何の仕事が向いているのかな、というのを、繰り返し旅行しては考えるような感じだったんです。旅をするうちに自分がやりたいことがだんだん分かってきて、それで旅の本屋を自分でいきなり始めようと思ったけど、やっぱり本屋さんの知識が全然ない。そこで、アジアの本だけを集めている神保町の本屋さんへ行って『自分でお店がやりたいので雇って欲しい』といきなり頼んだんですけど、そこの人に『まず最初に本屋さんの知識を身につけた方がいいから、とりあえず本屋さんに就職した方がいい』と言われて、まぁ丁重に断られたんですけど(笑)。やはりそうか、と思って、まず本屋さんに就職して8年くらい、普通に本屋の店員としてやっていたんですが、35歳の頃に年齢のことも考え出して、『自分はそもそも旅の本屋さんをやりたかったんだ』と考えるように。そんな時、たまたま以前のオーナーがやっていた『のまど』のHPを見たら、店長を募集していたんですよ。締切ギリギリだったんですが、とりあえず応募しちゃえ!と応募したら、受かっちゃったんですよ(笑)」
すごいタイミング!そして不思議な縁。丁寧に時間をかけて辿りついた一つの夢。そこに向かって、少しずつでも着実に前進し続けた川田さんが呼び込んだ運と縁なのですね。


川田正和さん(「旅の本屋のまど」店主)_f0207537_22284983.jpg♪「君が僕を知っているRCサクセション
「忌野清志郎さん、先日亡くなってしまったけれど、日本のアーティストの中では一番好きだったんです。その中でもこの曲が一番好きで、事あるごとによく聴いていました。」
音楽は大好きだけれど、旅行中はあまり聴かないという川田さん。「旅先ではあまり音楽を聴かないし、本も読まないですね。旅行していると、風景を見たり、知り合った人としゃべったりしている方が楽しいので、本とか音楽とか要らないかな、と。」 そんな川田さんが、これからしてみたい旅は・・・「自分でオーナーをやるようになってから、ほとんど旅行に行けてないんです、ミイラ取りがミイラになっちゃったみたいな感じで(笑)。でも今年はどこかに行きたいな、とは思っていて。時間がもしあれば、アフリカのエチオピア、セネガルやマリ。でも行くとなると、一ヶ月くらいの休みがないと。お店やりながらだと難しいかな、と思うんですけど(笑)」
そんなお忙しい川田さんですが、これからもお店でチャレンジしていきたい試みがあるそうです。「お店では定期的にイベントをやっているんです。旅行作家さんやカメラマンさんなど、旅にまつわるような人をゲストにお呼びしてしゃべっていただく、トークイベントみたいなものを、去年は月一回くらいのペースでやっていました。今年もそれをずっとやっていこうと思っているんですが、今年はできれば落語をやりたいな、と思っていて。落語の中のお話で、“旅もの”っていうのがあるんですよ。弥次喜多道中みたいな。そういう話だと旅の本屋さんというところでやるイベントとしては面白いかなと思って。

川田正和さん(「旅の本屋のまど」店主)_f0207537_2231097.jpg♪「イマジンジョン・レノン
「ジョン・レノンは一番尊敬しているアーティスト。その中でも「イマジン」がベストの曲です。」






好きなことをずっと続ける
“旅の本屋”という夢を時間をかけて実現していった川田さん。そんな川田さんから、人生のクロスロードを迎えている方への素敵なメッセージを頂きました。「自分が今のお店をやるところまで、順調にダイレクトに来たわけではなく、いろいろあってこういう形に辿り着いたという感じ。自分が好きなことを、とにかくずっと続けるというのが、すごく大事だなと思っています。そういうふうにしていると、誰かが見ていたり、いろんな人との繋がりで、運良く仕事に出来るという場合もあると思うんです。もし仕事に出来なかったとしても、自分の好きなものをずっと突き詰めていれば、それで人生が充実したり、自分のよりどころになって、何かあったときにそれが助けてくれるということもあると思うんです。

大切にしている言葉 “面白がる精神

「作家の沢木耕太郎さんが著書の中で使っていた言葉。プラスのことでも、マイナスのことでも、とりあえず何でも面白がることで、全て楽しくという。自分が窮地になったり、苦しいなと思っていることも、見方を変えて楽しんじゃえば、それもまたプラスになるかなと。」

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“面白がる精神”今の時代、まさにそういう精神が必要ではないでしょうか。何でもマイナスに考えないで、楽しんでしまう。皆さんも面白がって、人生を楽しく、好きなことにこだわりをもって生きていきましょう003.gif

# by crossroadmidori | 2010-02-12 23:08 | 2010.02.12(川田正和)

あさみちゆきさん(歌手)   

今週のゲストは先週に引き続き、歌手のあさみちゆきさんです。
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プロデューサーが出したデビューの条件とは・・・
まだお若いあさみさん、演歌にあまり馴染みのない世代だと思われますが・・・「小さい頃、父の運転する車の中でラジオが必ずついていたんですね。そこから流れてくる演歌や歌謡曲が、たぶん体に染み付いているんだと思います。あるとき、両親とよく行く近所のお風呂屋さんの宴会場で、高校生くらいの女の子がカラオケで演歌を歌っているのをたまたま見たんです。こぶしが利いていて、とても上手で。『格好いいなぁ。私もこういう歌をうたえるようになりたい!』と思って、そこから歌い始めました。」
でも、デビューまでの道のりは易しいものではなかったようです。井の頭公園でのストリートライブを聴いたレコード会社の方が、デビューの条件として出したのが、「ギターの弾き語りを出来るようになったら歌手にしてあげるよ」というもの。それまでは、ラジカセとマイクでカラオケを流しながら歌っていたあさみさん。オーディションに向けて、ギターの猛特訓が始まりました。その3ヶ月後・・・ついに、「吾亦紅(われもこう)」で有名なすぎもとまさとさんとプロデューサーが「よしやろう!」と言って下さったそうです。全く弾けなかったギターを3ヶ月でマスターしてしまうひたむきさ、そして意志の強さが、きっとデビューのチャンスを引き寄せたんですね。


あさみちゆきさん(歌手)_f0207537_20264027.jpg♪「鮨屋で・・・」あさみちゆき
「去年一年間、いろいろなところで歌ってきて、沢山の方に応援していただきました。お父さんとの想い出を歌った曲で、この歌をうたうときは、両親への感謝の気持ちを込めて歌うようにしています。」 とてもしみじみとした気持ちになれる曲です。




今年の目標は一人旅!
お休みの日は、掃除をしたり、ボーっとしたり、家で過ごすことが多かったというあさみさん。でも今年はちょっと変えてみようと思ってるそうです。「今年からは、いろんなところに出かけてみよう、歩いてみよう、と思ってるんです。いろんな体験をしてみたい、一人旅とかもしてみたいですね。」 人との出会いがダイレクトにある一人旅。きっと、旅先での出会いや経験が、これからのあさみさんの歌に生きてきそうですね。


あさみちゆきさん(歌手)_f0207537_20291127.jpg♪「兄弟船鳥羽一郎
「中学生の頃によくこの曲を歌っていたんですが、歌手になって、ステージでこの曲を鳥羽一郎さんと一緒に歌わせて頂いたんです!とても優しい先輩で、スタッフの方への接し方なども、見ていてとても勉強になります。人を思う気持ちを大切にしていらっしゃる、憧れの先輩です。いま私が使っているギターも、鳥羽一郎さんと宇崎竜童先生に頂いたものなんです。」


出会いが宝物
歌手になって本当に良かったと思うのは、沢山の方に出会えること」と、あさみさん。キャンペーンで全国を回り多くの方々と出会った中で、今まで一番嬉しかったのは“いい歌をありがとう”という言葉。あさみさんの歌に力をもらった方からの言葉なのでしょう。歌の力、音楽の力ってすごいですよね。人を励ませるというのは、本当に素敵なことです。「“ありがとう”の言葉を聞いて、もっと頑張ろう、もっと心に届く歌を歌えるように努力していこう、と心から思いました。出会いが本当に宝物ですね。」

あさみちゆきさん(歌手)_f0207537_20312945.jpg♪「こころのうた」あさみちゆき
あさみさんの2番目のアルバム「あさみのうたⅡ」に収録されているこの曲は、あさみさん自身が作詞されたもの。とても思い出深い曲だそうです。「井の頭公園で歌い始めた頃から、ずっと応援に来てくれていたおじいちゃんがいたんです。何にも言葉は言わないんですけど、ほっぺを真っ赤にしてニコニコしながら私の歌を聴いてくださっていたんですね。でも、そのおじいちゃんが亡くなってしまって・・・とても悲しかった。でも、ずっとふさぎこんでいても、おじいちゃんが悲しむかな、って思って。心のけじめをつけるためにも、おじいちゃんに手紙を書いてみよう、って思って、それでこの詞を書いたんです。」 阿久悠さんに頂いた言葉の通り、歌のお手紙を大切に手渡しで届けているあさみさん。これからも作詞、作曲にチャレンジして、もっと沢山の曲を書いていきたいとのことですので、気持ちの込もった手紙が皆さんのもとに届きそうです。そして、もう一つ挑戦したいことは、“いろんな引き出しを作る”ことだそう。コンサートでは、ナレーションやダンスなど、あさみさんのまた新しい一面が見られるかもしれませんね。


大切にしている言葉 “自然体

「いつまでも素の自分で正直に生きていきたいな、と思っています。そして、いつも笑っていたい。」 ご自身も実感されているそうですが、お話をお聞きしていると、ファンの方はもちろん、スタッフや先輩など、周りの方にとても恵まれていらっしゃる、あさみさん。出会った人を惹きつけ、思わず応援したくなる・・・あさみさんの自然体の人柄と歌に、そんな引力があるのだと思います。

☆☆☆     ☆☆☆     ☆☆☆

先週から二週にわたって、あさみちゆきさんをゲストにお迎えして素敵なお話をおうかがいしました。ストリートライブを続けていらっしゃるのも、ありのままを自分を見て欲しいという思いから・・・本当にナチュラルな方だと私も思いました001.gif

# by crossroadmidori | 2010-02-05 20:59 | 2010.02.05(あさみちゆき)